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To Write, or Not to Write(書くべきか書かざるべきか)

下りのエスカレーターを上がり続けるのはつらい。それができないから、われわれは苦労しているのである。だから万が一「落ちた」ときには、なるべく早く気をとり直して、ゆっくり立ち上がろうとする心がまえが大切だ。前回はそういう話であった。

 

が、毎日上がり続ける原動力は、そもそもどこから仕入れればよいのか。

上がり続けるのがあまりにも大変で、もう潰れかかっている…という人は、落ちたら落ちっぱなしになってしまう恐怖と、一生戦わねばならないのだろうか。

 

この「上がり続ける原動力を、最小限の精神的・肉体的負担で得る」というのは、わたくしQ氏の思うところ、やはり一番むずかしい。Q氏も、人生において、長い間、これができずに悩んできた。

試行錯誤して何とか「少しはマシ」程度になったかな…と自分で思えた頃合で、改めて考え直してみると、最大の秘訣は、

 

「余計なことをいかに考えないようにするか」

 

に尽きる気がする。

やはり「考えないヒト」に話が戻ってくるわけだ。

 

「上がり続ける」ことは、具体的には物理的・身体的な「作業」の積み重ねである。

受験勉強ならば、教科書や参考書・問題集をまずカバンから出す。ページを開く。筆箱から筆記具を出す。ノートを開いて筆記する。問題を考える。証明を始めてみる。だめだと気づいて消しゴムで消す。また考え、参考書を見る。別のやり方でノートに解き始める…などの繰り返し。

これら一連の作業は、なるべくスピーディに行わなければならない。特に筆記の作業は物理的にけっこう大変だ。丁寧にやるのはいいが、あまりノロノロしていると、とてつもなく時間を食い、はなはだしい効率の低下を招いてしまう。しかし、それなりの筆圧でスピーディに筆記を続けるのは、かなりきついエクササイズである。

学習にひどく困難を感じている小中学生は、例外なくエンピツの持ち方が悪く、筆記のスピードと適切な筆圧を維持できない。

 

だから一切の筆記をやめる、という人もいる。「書く」のに一番時間がかかるのだから、なるべく書かないで目から覚えれば、勉強の効率が非常に上がる…という考えである。

それもひとつの方法ではあるが、残念なことに、筆記という物理的なアウトプットを一度でもやるのとやらないのとでは、長期の記憶への定着の仕方が異なるようだ。

 

Q氏は、かつて難関私大志望者向けの歴史の授業で、筆記の効用を思い知った。日本史B担当の初年度、まず奈良時代くらいまでオリジナルの穴埋めプリントを作成し、用語だけを記入してもらいながら解説授業をしていたが、途中でスケジュールが変わり、プリントの準備が間に合わなくなった。

仕方なく、Q氏が解説し、ボキボキとチョークを折りながら内容をすべて鬼コーチのように板書し、受講生もバレー部員のように、必死になってそれを書き写す…という昭和スポ根(スポーツ根性ドラマ)路線に変えざるを得なかった。山川日本史B教科書の膨大な内容を、プリントを作らず、センター試験(当時)までにすべて板書しながら解説するというのは、我ながら狂気の沙汰である。充実はしていたが、やる方も受ける方も、非常に大変な授業であった。ぜえぜえ。

そして受験が成功に終わった頃、受講生から異口同音に「地獄のように膨大な板書で解説してもらった部分はほとんど頭に入っているのに、初期の穴埋めプリント部分が最後まで頭の中でぼやけたままだった」という感想をもらった。

一度この手で書いたという「身体にしみ込んだ経験」は、学習内容を記憶するさいに、やはり重要なのだろう。英単語や用語などは、どうしても書かないと記憶できないという人が一定数いる。

学習方法は自分に合っていることが一番大切なのだから、書かないと記憶できない人に、書くなとは言えない。

 

筆記の手間を極力、省略したとしても、やはり一定量は書かなければ勉強は進まないし、書くのには時間と労力がかかる。将来、紙への筆記をやめたとしても、デジタル機器への入力・保存・データの呼び出しなどの物理的な手間は、おそらく省略できないだろう(そして、それらの手間が、手による筆記ほど記憶の助けになるかどうかは定かでない)。

 

要は、これらのこまごました物理的「労力」こそが「下りのエスカレーター」の正体なのである。毎日、新たな労力の「負債」ができてきて、それを適切なタイミングで返済し続けなければならない。だが反対に、そのとき費やすべき労力を、その場で地道に費やし続けることさえできれば、日々の負債は生じないのである。

 

書くか、書かないか。この問題ひとつとっても、「労力と学習効果とのバランス」が、受験勉強を無理なく続けるためにいかに重要か、想像がつこうというものである。

このへんで紙数が尽きた。次回につづく。