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意識しないものは存在しない

ひとびとの勤労に感謝しつつ、続きである。

勉強はアタマでするものだ…と考えている人が大部分だと思うが、一方で「作業」をかなり含む。実は、勉強はカラダでするものなのだ。体育が苦手だった秀才諸君も多いと思うが、勉強は実は体育の一種でもある。だからこそ、昭和的根性論もまかり通る。

スポーツやダンス、楽器演奏などの基本動作を覚えるときには、やはり「考えないでできる」ようになるまでやる。

勉強は、それらのジャンルのように必ずしも同じ動作の繰り返しではないが、筆記などの気が遠くなるような物理的作業を、まともにこなさなければならない。そのためには、まず「余計なことを考えない」ことがカギになる。スポーツのフォームを覚える際と同じだ。

よく言えば「一心不乱」ということになるが、その実、かなり頭をカラッポにしないと、勉強に伴う「作業」はまともにこなせない。

 

より正確に言えば、

 

①作業を進めるために邪魔になるような「雑念」は念頭から一切追い払うが、

②学ぶ内容を考えるための思考回路は活性化させ、

③その結果、アタマの全資源を、目前の学習内容だけに振り向けられた状態にする

 

ことである。

「考えなければいけないことを考え、考えてはならないことは考えない」状態ともいえる。「いま、ここ」だけを意識し、過去も未来も考えない集中の境地である。

流行りの「マインドフルネス」や、座禅・ヨガなどにも通じるところがあるだろう。

受験生は、積極的にマインドフルネスを実践したり、座禅を組んだりしてみてはどうかと、本気で思う。わたくしQ氏は受験生時代、たまに見よう見まねで座禅を組んでみた。役に立ったかどうかは分からないが、不安はずいぶん減った気がしたことを覚えている。

 

にわかに宗教的な話になってきたが、「いま、ここへの集中」がちゃんとできると、下りのエスカレーターは見えなくなる。存在しなくなる。

まさしく禅問答だが、受験生の皆さんも、そういう冴えわたった集中の境地を、一度は経験したことがないだろうか。

 

純粋に、いま取り組んでいる問題だけに意識が向いており、雑念はアタマから追い払われている。

が、だからといって、ものすごい緊張のもとにあるわけでもなく、どこかナナメ上くらいから、勉強している自分を冷静に眺めている、別の自分もいる。

一方「いま、ここ」の自分は、何となく鼻歌を歌いながら参考書や問題集の内容を目で追い、ただ無心に、ノートに筆記している。

場合によっては、コーヒーでも飲みながら。

 

そんな状態が、勉強するのがあまり苦にならず、さわやかで疲れない「持続可能な」あり方ではないかと思う。言葉で伝達するのはやや難しいが、「いま、すごくいい状態に入っているな」と感じるときはある。

 

前回の「ノートづくりだけが目的化して、ただアタマが空っぽの」状態でもない。目前の瞬間に集中しているが、同時にあらゆる方向に目が配れていて、なおかつリラックスしているような境地。

一時期ブームだった『鬼滅の刃』みたいなもんか。全集中、ハナミズの呼吸。

 

…そんな状態、しょっちゅう体験してるって? あなたは偉い。

ひょっとして禅僧ではないか。

下りのエスカレーターを最小限の精神的・肉体的負担で上り続け、その日の負債をなるべくその日に返し続け、サッパリと満ち足りた生活を送る唯一の秘訣は、おそらく「下りのエスカレーターをまったく意識せずにすむ境地」に積極的に入ることだろう。意識しなければ、障害は存在しないのである。

 

むしろ、コーヒーなど(多くの人がコーヒー中毒に陥るきっかけが、大学受験ではないか)飲みながら、けっこう楽しかったりする。慣れている人にとって、スポーツの練習がストレス解消になるというのと、少しだけ似ているだろう。

 勉強の場合、身体の疲れはたまる一方だから、適度な休息やストレッチは必要だろうが、勉強の内容というよりも、勉強というルーティンを無心にこなすことが、それなりに楽しみになることはあり得るのだ。

「勉強のどこが楽しいの??」と驚き、いぶかる人は、勉強そのものよりも、勉強する動作やその場の雰囲気、静けさを味わいつつ、やることを地道にやっている充実感…などなら楽しむ余地がある、という、その心境を知らないのかもしれない。

 

おじいちゃんが、庭先でせっせと盆栽の手入れをしている。盆栽に興味がない若者にとっては、どうしてあんな「つまらない作業」をえんえん続けられるのか、不思議だろう。が、盆栽が好きな人にとっては、盆栽の手入れをするのは至福のときで、すぐ過ぎてしまう宝石のような時間なのである(たぶん)。

勉強も、やっている時間の充実感には、コンディションがよければそれなりに酔える。そして、気がつけば、受験勉強のノルマは少しずつ消化できている。

気がつけば、自動的に借金が返済されている。こんないい話はないではないか。

 

そんな充実感を得るためには、考えない方がよいことを、極力アタマから追い払うこと。「考えないで考える」「考えるときには考えない」ことではないかと思う。

受験生諸君、Q氏の言いたいことを少しは理解してもらえるだろうか。やはり禅問答っぽいね。

 

そして、この境地に達するためのカギが、言い古されたアイデアではあるが「習慣化」である。次回からはこの習慣化について「考えないで考えて」みよう。