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1万時間の法則

作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊東部方面総監室で割腹自決を遂げてから、きょうで52年。三島の霊は現在の「日本」をどう見るか。

ちなみにこう書くわたくしQ氏は、右でも左でも上でも下でもタテでもヨコでも何でもない。ナナメですらない。無指向性キャラクターとして、虚心にブログ画面に向かっております。

 

さて、前回あえて「勉強は量」と提言した。Q氏のこの提言は、おそらく時代の風潮に逆行するものだろう。

この「『量』宣言」を「昭和脳」と馬鹿にする若者たちよ。ならば、代替案を示してくれないだろうか。Q氏も切に知りたい。「量」が本当に不要だと分かれば、Q氏はすぐにそちらの派閥に乗り換えることを約束する。君子ならずとも豹変す。

 

「1万時間の法則」をご存じだろうか。著述家マルコム・グラッドウェルが提唱した経験則で、その道で一流と呼べる人物は、知識や技能の習得におよそ1万時間をかけている、という内容である。同じプロでも「あまり大したことない」レベルの人は、技の習得にかけた時間も1万時間に及ばないという。

1万時間といえば、1日3時間を費やすとして、まったく休日をとらなくても9年と1か月半である。平日は1日5時間、土日は10時間ずつ勉強し、やはり休みを取らないとすれば、4年と3か月半かかってようやく1万時間。いずれも、1万時間を達成する前に過労死する危険がある。

この「法則」は科学的なものではないため、個人差が考えられ、それほど厳密なものと受け取る必要はないと思う。が、「とにかく膨大な時間を費やさないと」高いレベルの知識・技能は習得できないというのは、本当だろう。

…ビビる話だよね。Q氏もビビる。

 

…が、なぜビビるのかというと、この1万時間を「やらされる」としたら地獄だ…と考えるからだろう。

Q氏の見るところ、わが同胞・日本人には、練習をいやがる昔の猿回しのサルに似て、「放っておくとサボる」賢さ(ズル賢さ)があるように思える。あるいは国土が狭いことと何か関係があるのか、「自己の利益を最大化したがる」利己的な人が多い印象だ。

 

だから、昭和の運動部に見られるように、「鬼コーチが常に目を光らせ、叱咤し、時には体罰を加えないと」、本気で何かに労力を割こうとしない。言わないとやらないから、言う方はどんどん厳しく暴力的になるし、言われる方はいじけ、後ろ向き・受動的になり、ますます「言われないとやらない」習慣が身につく。互いの信頼感など、もちろん育たない。

日本の旧陸軍では、農村出身の非エリートである下士官が、暴力で兵を「鍛えて」いた。その手法は陸軍で急に始まったものではなく、ある程度国民性に根ざすものではないかとQ氏は疑っている。だから、「叩かれないとまともに動かない」人がこの社会にはたぶん非常に多いし、そうでない人も、「何かをやらなければならない」と言われれば、即「…叩かれる!」と恐怖の連想をするのだと思う。

 

「量」を他人から強制されてイヤイヤこなしていたのが、おそらく皆さんの嫌いな「昭和体育会系」の正体であり、それは少なくとも帝国陸軍から連綿と続く「伝統」だ。この「他人からの強制」を拒否したい気持ちはQ氏にもよく分かるし、Q氏自身も今までの半生、いろいろなところで「昭和体育会系的」圧力にさらされ、ずいぶんくやしい思いもしてきた。自分も少しはその中で生きてきた「昭和体育会系」を、むろん全面肯定はしていない。

が、もし体育会的強制がないのなら、受験生諸君は誰からも何も言われないところで、みずから進んで黙々と「量」をこなさなければならないのである。

…できるか?

 

何しろ「あの」膨大な教科書の内容を、どこからどう聞かれても答えられるようにしないと、医学部には受からないのだ。志望校の英語長文のレベルを見て、それをすらすらと読めるようになるのに、どれだけの分量の長文読解演習が必要か、想像できているだろうか。

ン十年もやってるわれわれ講師がチンタラと読んでも、毎回「かったるいなあ」「お金もらわないと、こんなのめんどくさくて読めないよ」という分量・水準の英文が出題されるのである。センター時代の国語には、もう20年近く古文を教えているQ氏も、古文を時間内に読みきれない「伝説の年度」があった。

 

「敵」がそういう、意図的なトンデモなさで攻めてくるのであれば、こちらはやはり、どういう方法であっても一定の「量」をやって対抗するしかない。絶対的な「量」をやり込んでいない受験生は、もう、これは落ちても仕方がない、と観念すべきなのだ。

 

…というところで、また紙数が尽きた。さらにつづく。