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一瞬を生きぬく

12月である。浪人生も現役高3生も、受験生の皆さんは本番を間近に控え、緊張が高まりつつある時期だろう。受験生が経験する11月のスランプは、気温が低めで安定してくる12月になると、経験上はだいたい解消に向かっていくもののようである。だから受験生諸君、多少は安心しよう。新型コロナもインフルエンザも流行のきざしを見せてくる頃合ではあるが、あとひと息、何とか乗り切ろうぜ。

 

さて、2022年11月は、ブログ担当のわたくしQ氏の初お目見えということもあり、受験生心理の話題を「テレフォン人生相談」的に続けてきた。

が、話題が12月に少し残ってしまった。「最後の心理的ハードルを、いかにエイヤッと越えるか」である。

 

これが最も難しい「一瞬」で、できない人にはとうとうできない。また、人生の中でも「できない時期」とできる時期がある。そして、できる人にも「毎回できるとは限らない」。毎日、そのつど新しくやり直さなければいけないことなのである。

誰にでも簡単に「これ」ができるのなら、そもそも人類に悩みなどないはずである。それくらい「物事に取りかかるための、最後の心理的ハードルを越えること」はむずかしい。

 

万人にそのまま当てはまる解決法はないに等しいわけだが、やはり「鼻をつまんで薬を飲む」「目をつぶって飛び降りる」が、もっとも実践しやすい対策なのではないかと思う。つまり「勉強に取りかかる一瞬だけ、思考をマヒさせ、なるべく考えずに身体だけ動かす」ことだ。

教科書や参考書、問題集を手に取り、開く。筆記具を握る。その瞬間だけ、とにかく目をつぶってやるのである。

 

参考書を開いてしまいさえすれば、こんどは「閉じることがめんどくさくなる」

「勉強が始まっている状態」をいったん作ってしまえば、こんどは逆に「やめるための物理的・心理的ハードルが発生する」ことを利用するのだ。

おそらく、これしかないとQ氏は考えている。

 

人間は惰性の生き物である。それは、受験生諸君も痛いほど知っているのではないか。自分はまだ本気を出していない──そう念じながらゴロゴロして「無駄に」過ごした時間は、もう、2度と帰ってこない。

が、惰性の生き物をやめることは恐らく永遠に不可能であるのに対し、惰性の生き物であるという習性をうまく逆手に取れば、不可能に思えた「習慣づけ」もできるらしいのだ。

現に「1万時間の法則」を乗り越えて何らかの高度な知識や技能を習得した人は、たぶん全員、学習や実践を習慣化できた人であるはずだからである。

 

そして、猿回しのニホンザルの調教が、かつてのように暴力や強制によっては行われなくなったのと同じく、われわれ全員が「心の中の(サボろうとする)ニホンザルを飼い慣らす」ためには、もはや他人からの強制ではなく、人間の習性に合った自己調教術が必要なのである。

そしておそらく、ここで話は再び三たび「余計なことを考えずに、とにかく取りかかる」に戻ってくる。

 

考えず、鼻をつまんで、とにかく水に飛び込む。

飛び込んでからは無心に泳ぐ。すなわち、勉強を始めてからは集中して考え、あるいは作業に没頭する。

問題は一瞬なのだ。一瞬の透明な膜を突き破りさえすれば、あなたには生き残りの途が見えてくる。

 

考えるための思考停止。感覚を全開にするための一瞬の麻痺。逆説めいてくるが、皆さん受験生だけでなく、ビジネスパーソンにも、家事従事者にも、リハビリ中の患者にも必要なことは、これではないかと思う。

 

そのために、ただただ他人に尻を叩いてもらうのでなければ、自分を洗脳するしかない。

考えることとは、あらゆる洗脳を逃れて自由な境地にたどり着くこと、絶えず脱洗脳を繰り返すことだと言える。

が、脱洗脳のために自己洗脳をおこなうことが、まず必要になるのだ。なんたる矛盾。

勉強は別にめんどくさくなく、始めてしまえば楽しく、いずれにせよ大したことではない。単なるひまつぶしに勉強でもしてみるか…そんな風に、自分をだませた人間が勝ちだということだ。

 

繰り返しになるが、一瞬。一瞬なのだ。その一瞬が、皆さんの命運を握っている。

かく言うQ氏も、読んでくださっている皆さんのかなりの部分よりは長いだろう半生を通じて、多少はこのカラクリが分かってきた感じがしている程度だ。むずかしいと感じる人には、習慣化は非常にむずかしい。Q氏にもむずかしかった。

 

料理などの家事をするにも、この習慣化が絶対に必要だから、心理的な抵抗が少ない勉強以外の事柄で何か習慣化を体験し、「成功体験を得る」とよいのかもしれない。スポーツやダンス、楽器などの習い事で一定の成果に達したことのある受験生は、習慣化がさほど苦にならないかもしれない。日本で「体育会系」が偏重されてきた原因のひとつに、よく言われるチームワークへの適性のほかに、スポーツが身体の習慣づくりを基礎としているために、スポーツ選手が、どの分野でも必要とされる習慣化になじみやすいことも挙げられるだろう。

 

さて、「ラスボス」である心理的ハードルの越え方については、まだまだ話題は尽きない。

だが、一般論ばかり書いてもいられないだろう。リアルタイムで読んでくださっている皆さんには、そろそろ大気圏ならぬ、受験シーズン突入の頃合である。

 

あいにくなことに、Q氏は基本、文系担当だ。そこで次回から、医学部受験生が苦手としやすい国語の話題を取り上げたい。乞うご期待。