オンライン医学部予備校

2023年度入試で医学部(東大京大)への合格を目指す全ての受験生をサポートします。

勉強は才能か

師走の声を聞き、毎日もだいぶ冷え込んできた。日本のかなりの地域で、窓を開けると見える山々も、頂が白く染まる頃合である。全国の医学部受験生諸君はそんな中、お元気で勉強を続けておられますか。

 

さて、11月と話題は打って変わって、医学部受験生にとっての国語の話。

わたくしQ氏が今までの指導歴から、経験則として導き出したことがらのひとつに「医学部受験生は国語が苦手」というのがある。

実際には、テストでは国語もそれなりにできる人がもちろん多い。特に難関大医学部を志望する諸君ならば、国語が大得意というような人も中にはいるだろう。

 

が、受験生に自己申告してもらうと「国語が苦手」という訴えが一番多い。次点が、やはり数理的な処理が得意な人が多いせいだろうか、「覚える科目」、特に英語や化学の苦手を訴えるケースだ。

医学部受験は、物理-化学選択で、数学・物理が得意な人が何かと優位な分野である。国語と、記憶重視の科目に苦手を訴える受験生が多いのは、何となくうなずける。

 

また別の話題であるが、受験生の指導をしていると、いろいろな科目の担当講師の先生がたと接する機会がある。

その中で、やはりひとつの経験則として、Q氏がひそかに感じていることがらのひとつに、「数学の先生は、担当生徒の数学の『センス』『才能』に関心を持ちやすい」というものがある。

もちろんすべての先生がそうではないが、多くの数学の先生と会話していると「だれそれはセンス・才能がある」という評価が、会話の中に比較的よく出てくることに気づく。あくまでも「センス」「才能」という言葉を聞く頻度が、他教科の先生との会話におけるよりも多い。

歴史の先生と話していて「誰某は歴史のセンスがある」という話題には、まずならない。化学の先生と話していても同じである。

 

ひるがえって生徒を観察していると、確かに数学の「センス・才能」がずば抜けている、という人は、数少ないが一定割合でいる。大都市圏の有名高校などには絶対数が多いだろう。また面白いことに、だいたい字があまり綺麗でないとか、ノートが雑だとか、数学・物理だけ成績がずば抜けていて、他科目とのアンバランスが目立つ、とかの経験則もあるような気がする。

数学が得意な受験生というは、他の受験生の憧れの的だが、数学が得意な人は他科目で苦しんでいる例が非常に多い。だから、総合点で同じくらいの順位にいる人ならば、絶対的優位にある受験生などというのはいないのである。諸君安心したまえ。

 

が、この「センス・才能」伝説というのに、Q氏はいろいろな観察と経験を経て、かなり疑問を抱くに至っている。

数学のセンス・才能に恵まれた人には、他科目で異常な苦戦(文字通りの異常。「なんでこんなことも分からないの」レベル)をする人が多いし、数学以外の科目が得意な人についても同じである。ひとつできれば、やはり他ができない。科目間にトレードオフの(両立しない)関係があるものが多いのである。同じ文系と言われる、英語と国語の間にもトレードオフが見られる。

 

恐らく、人間の脳容積がだいたい一定であることが、分野間の才能の偏りの原因だろう。脳細胞はできれば無限に増殖したいのだろうが、頭蓋骨の中の空間には限りがある。そこで、他の能力と比べて数理的な処理の力ばかりが発達した人も出てくるし、もっぱら言語を操ることに長けた人も出てくる。だからこそ社会に分業が成立し、分業によってますます社会の規模が大きくなり、さらに社会化が進んでいく…人間の進化のシナリオは、だいたいそんな感じだったのではないだろうか。

 

だからこそ、多科目間の総合力を試される限り、「才能」で絶対的優位に立てる人の数は少ない。もちろん、試験のたぐいでは全般的に知能が高い人が優位にあることは間違いないだろうが、その人でさえ、似たような実力の持ち主の間では油断できない。

だから、長期間の準備が必要な、内容面でも多岐にわたることがらについて「センス・才能」を極端に強調することも、Q氏にはワナだと思える。

才能に関しては、やはりひとりひとりが異なっており、異なっていること自体に意味があるのだ。

 

では、国語が苦手な医学部受験生(特に国立志望者)は、少なくとも共通テストの国語をどう乗り切るか?

今日はもう紙数が尽きたので、次回につづく。