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共通テスト国語2023 (1)──評論①

さて、医学部受験生諸君、引き続き寒波による交通の乱れに注意して、受験行脚がんばってください。交通機関が遅れたら遅延証明書を取るくせをつけようね。

 

さて、今回からしばらくは来年度(2024)受験生に向けて、共通テスト国語2023の解説である。わたくしQ氏が国語講師なので国語ネタばかりになるが、医学部生に国語の苦手を訴える人が多いということから、国公立医学部志望の現高2生にも参考にしてもらえれば幸いである。

まず、全体の傾向。

共通テストも3回目を迎え、かなり問題が練れてきて、共通テスト固有のスタイルが定まってきた印象である。特に現代文や漢文で、似た話題について出題文(以下「テキスト」と呼ぶ)を2つ並べて比較させ、いわば「複眼」によるテーマの掘り下げを要求する、昨年度に続く形式である。

「Q氏的には」試行錯誤を通じて共通テストならではのスタイルが開発されてきた手ごたえがあるし、なかなかユニークな問題になっていて、念願の記述式を導入できなかった「挫折」を逆手に取った、面白い「入試改革」になっているのではないかと思う。

だが、建築における「窓」の役割について述べた今年度の第1問評論などは、テキスト自体がかなり難しいと感じられたのではないだろうか。テキスト1本をじっくり読み込ませていたセンター試験時代と異なり、1本が短くなったが、2本合計して全体としての分量はさほど変わらなくとも、精神的負担は大きいと思う。今年の受験生諸君は一読、「こういう『改革』はやめてくれ!」とひそかに叫んだのではないかと思われる。

 

だが「問題形式の変化でへこたれるようでは、読解力が弱い証拠!」などと肝心なところで昭和スポ根(スポーツ根性)路線になるQ氏に言わせると、目下の共通テストは、全大学入試の中でも、おそらく相当上位に来るような内容レベルのテキストを出題するようになっている。「共通テストの文章が読めれば国公立2次の文章は読めるし、私大一般入試の文章も読める」という点で、かなり「大学入試国語をリードしようとする意欲」を感じる出来になっているのだ。センター試験後半からそういう自負のようなものは感じられたが、例えば今年の共通テスト評論は1本の長さが短くなった分、密度の濃いテキストを出題していて、かなりの高カロリー食という感覚だ。

なんとなく、NHKが「攻めた」番組を作ってきているケースと似たような印象ですね。

 

だから来年度以降の受験生は、国語の文章読解の訓練だけならば、共通テストとセンターの過去問をみっちり読めばいいと思う。東大の現代文の方がよっぽど読みやすい(京大の現代文はややクセあり)。国公立2次と問題形式は異なるが、まずテキストの内容が理解できなければどうしようもないのだから、国語に自信のない来年度の医学部受験生諸君は、現代文の問題集などを手始めに少しやって読み方をつかんだら、もう夏くらいからセンターの過去問と共通テストの過去問を何十年分もやってればいいと思いますよ。他の教科と違って、いきなり共通テスト過去問が解けるというのが国語のよさである。

 

さて、では2023年度第1問評論をざっとレビューしよう。

 

まず、建築というテーマは馴染みがなくて意味が分かりにくかった…という人が多いだろう。馴染みがないテーマについての文章をしっかり読めるかを試されているのである。テーマに不案内だから読めない…では、現代文はだめなのです。

2つのテキストに共通して出てくるフランスの建築家ル・コルビュジエ(発音しにくい名前でしょう!)は、モダニズム建築の巨匠としてよく評論の題材になる人物で、日本では東京・上野の国立西洋美術館ロダンの「考える人」のあるところ)が作品として有名である。Q氏は近代建築には不案内だが、ル・コルビュジエといえば、フランク・ロイド・ライトなどと共によく建築に関する評論に出てくるので、「そのジャンルの代表的人物」という認識程度は持っている。

 

さて、1本目のテキスト(柏木博『視覚の生命力──イメージの復権』)は、いきなり話が正岡子規から始まる。ここで正岡子規を知らないと話が分かりにくく、読解の負担が増すだろうが、正岡子規「ぐらい」知ってますよね? 中学校の短歌や俳句の鑑賞に出てきますからね。

後半生をほとんど病臥して過ごしたがゆえに、その透徹した写生の眼が磨かれた──とか、夏目漱石の親友だった──とかの事実も知らないと、いきなり「だれ?その人」となるのだが、国公立大学を受験しようという皆さんは大丈夫ですよね??

 

この正岡子規に関する部分は比較的読みやすいが、病臥しながら外を眺めて過ごすしかない子規の書斎の「ガラス障子」「視覚装置」である(傍線部B)というあたりから、少し分かりにくくなってくるだろう。

子規の書斎の「ガラス障子」はそれほど積極的に「視覚装置」として設計されたものではないが、ル・コルビュジエの建築における「窓」はより意識的に、「デザインつまり表象」として計算され、「視覚装置」として作り上げられたものであり、そこにル・コルビュジエの建築家としての特質或いは戦略性がある…というような論旨である。

 

評論では「二項対立」に着目せよ、という指導はよくなされるが、作者の論旨を追うために、文中2つの対立項に着目することは大切だ。この第1のテキストでは、「視覚装置」としての「窓」の中に、①比較的場当たりに選ばれたものである正岡子規の書斎のガラス窓と、②意識的に設計され、演出されたル・コルビュジエの建築における窓の対立を見出せば十分である。

 

さて、こう読解してくるとまた長くなるため、次回につづく。