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共通テスト国語2023 (6)──小説①

引き続き、共通テスト2023第2問(小説)を検討しよう。

出題文の作者は、文学史的には「第1次戦後派」に分類される梅崎春生うめざき はるお 1915~1965)。戦後派の名前通り、当初は戦争体験や戦後の焼け跡の混乱した世相に題材を採ったが、同時にのちの「第3の新人」と呼ばれる文学者グループを先取りする都市的・小市民的感性を作中ににじませ、独自の境地に達した人だ。出世作桜島だが、わたくしQ氏にとっては最後の小説「幻化」が忘れられない。

 

梅崎春生の小説の主人公は、気弱でいわゆる「いじめられっ子(のび太)」タイプであり、要領の悪さや根気のなさに加えて小市民的な心の狭さも持つがゆえに人生がうまく行かず、周囲の厚顔無恥あるいは狡猾な、あるいは本式に頭のイカれた人物たちに好き放題に翻弄される…というパターンが多い。じゃあ、周囲の人物たちに負けて一方的におとなしく引きさがるかというと、そうではなく、内心でぶつくさ不平を募らせるのであるが、その不平が人類普遍の理想や正義感と、いじめっ子的存在へのいじけた反発心みたいなものをこき混ぜた、小市民的で情けないなりに、非常に「こじれた」複雑な心情になっていて、同じ小市民性を持った読者の、自己嫌悪の交じった共感を誘うのである。「取り返せないハンディキャップとしての弱さを抱えた人間からの、やけくそな異議申し立て」のようなテーマに固執した作家である。Q氏は好きな日本の小説家の1人だ。

第2問の素材となった「飢えの季節」は、生々しい焼け跡を舞台とした、まさしく「戦後」小説である。皆さんこういう小説読んだことある? 第1次戦後派(梅崎春生のほかに、野間宏、椎名鱗三ら)あたりは、いま若人が読んでも2~3周回って面白いかもしれない。

途中出てくる昌平橋のたもとの物乞い老爺の描写などが、「格差」に揺さぶられつつある現代に通じる問題を描いた場面として印象に残る。

 

大学入試センターさんは、

「この小説を読んで、いま、作中の時代と同じような格差に再び引き裂かれつつある社会に生きる自分たちの問題を、受験生の皆さんにも考えてほしい」

と有難くおっしゃっているのである。現代国語の問題には、このように試験問題の作り手からの強いメッセージが込められていることが多い。だから、受験生諸君もそれを心して受け止めてあげてあげると、センターさんも喜ぶと思うのだな。

が、戦後社会に仮託して現代社会の問題を鋭くえぐり出すセンターさんの意図に反して、マスコミは今回、現国のこの問題にはぜんぜん注目する気配がなかった。やはりアンテナの感度が低く、思考も表面的なマスゴミと言われても仕方ない存在なんですかね、現代のマスコミは。問題を詳細に読むひまなどなく、ちょっとした話題箇所だけ記事にしてるんでしょうかね。ちゃんと記事になったのに、Q氏が読んでいないだけかもしれないが。

 

さて、出題文は適切だし、問題も評論よりはクリアで、分かりやすい。今回は評論を難しくして、小説を標準的にしようという調整が働いたのだろうか。

 

ただひとつ、慌てていると読み取りにくい情報がある。それは、本作の主人公「私」が、果たして実際に「農作物を盗んで」いたのかどうか(問4・選択肢①)だ。この問題を先に片付けておこう。

結論から言えば、主人公は戦後の食糧不足の中、実際に農作物を盗んで食いつないでいたのである。文中の証拠をつなぎ合わせて読み取らないといけない。しかも証拠が散らばっているから、急いで読みすぎてとうとう分からなかったという受験生も多いのではないか。これは「ヨマヌ真理教」信者には分からないわなあ。

 

まず問題文4ページ目(問題冊子23ページ目)7~8行目「朝起きたときから食物のことばかり妄想し、こそ泥のように芋や柿をかすめている私自身の姿」とある。こそ泥の「ように」と直喩だから、ここは比喩的な表現に過ぎないように読める。「かすめている」というのも、文字通り畑に入って窃盗罪に当たるような盗み方をしているのか、あるいは1行前に「長山アキ子の腐った芋の弁当」とあるから、気に食わない同僚のお弁当のおかずの芋をこっそり1品いただいたりしている程度なのか、よく分からない。「長山アキ子の弁当」からは、芋の窃盗が本当なのかどうかは読み取れない。

 

ところが、この箇所を読んでから同ページの4~5行目に戻ると、「闇売りでずいぶん儲けたくせに柿のひとつやふたつで怒っている裏の吉田さん。」とある。おそらく「私」は、吉田さんが闇売り(高額での違法な物資販売)で儲けていることを憤り、ねたみも感じて、「天罰だ」とか言いながら、実は自分の飢えを満たすために裏の吉田さんの庭の柿をふたつぐらいもいで食べたのだろう。そして、吉田さんに見つかって怒られたのである。そのことをいつまでも根に持っている「私」のいじましく情けない心情が、梅崎春生チックである。非常に「小学生的」な逆恨みの仕方だが、Q氏は梅崎春生の小説がもつこの「永遠の小学生」という感覚が非常に好きだ。『ドラえもん』ののび太のルーツは、梅崎春生の小説の主人公かもしれない、と時々思う。

 

そして問題文5ページ目(問題冊子24ページ目)13行目「盗みもする必要がない、静かな生活を、私はどんなに希求していたことだろう。」が決定打となる。「私」は飢えに堪えきれず、柿や芋を文字通り窃盗しながら広告会社に勤め、食物を盗む生活への罪悪感の裏返しとして「都民のひとりひとりが楽しく胸をはって生きてゆけるような」都市のビジョンをひねり出していたのである。そして、その構想には「柿の並木」が出てきて(柿の街路樹って変でしょう?)、「夕昏散歩する都民たちがそれをもいで食べてもいいような仕組になって」いるのである。

自分が柿をもいで食べて怒られたから、自由に柿をもいで食べられる東京にしたい!

なんと皮肉で、いじましくも切実な理想の未来都市図であろうか!

そして「私」はその理想を周囲の人たちから寄ってたかって否定的に扱われ、昌平橋の老爺から、自分も直面している目を背けたい現実を突きつけられ、給料問題に衝撃を受け、さまざまなショックに翻弄されたあげく、「このままではいけない」と、初めて勇気をもって自分の力で自分の人生を切り開いていこうと決意するのである。ただ、その後の「私」を何が待っているのかは、本文からは完全には読み取れない。そういう小説である。

受験生の皆さんは、ちゃんと読み取れましたか。

 

上のようなストーリーからすると、「私」が果たして本当に芋や柿を盗んでいたのかどうかは、解釈の上でかなり大切な問題となる。そのヒントが読み取りにくいのは、これはもちろんセンターさんの意図的な仕掛けだ。だから、本文の解釈で難しいのは問4だと言えそうだ。

 

さて、では次回から、大急ぎで選択肢を検討しましょう。