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共通テスト国語2023 (7)──小説②_選択肢の検討その1

こんにちは。受験生諸君は私大医学部受験真っ最中ですね。かなり力がある人でも、実力伯仲のライバルたちとの闘いですから、余裕で全勝などということはまずありませんよ。撃った弾が1校に当たれば、それで勝利。あとは面接にさえ通れば、私大専願の皆さんの場合は、そこで戦いが終わります。もちろん、医学部の場合はあまり大学を選べません。受かったところが縁のあるところですね。

 

さて、引き続き共通テスト2023第2問(小説)である。選択肢を検討しよう。

 

問1は比較的ラク。これは親切な問題だ。

ただ、正解の選択肢①の表現が地味でフラットすぎて、しかも最初の①から正解だから、果たしてそれで本当にいいのか迷う。そういう時は①を「保留」の選択肢にしておいて、他の選択肢の決定的にダメなところを探し、消去法で確認すればよい。

②はダミーだと思うが、「会長も出席するような重要な会議の場で成果をあげて認められようと」が完全な間違い。本文に書いていないし、そういう野心とはむしろ無縁で、純粋な夢想家でありそうな「私」の人物像とも合わない。「なんとか名誉を回復しよう」も同じ理由でダメである。

③を選んだ人、ちょっと読めていないと思う。「街頭展に出す目的を明確にイメージできていなかったことを悟り、自分の未熟さにあきれつつもどうにかその場を取り繕おう」完全に的外れだと分かるだろうか。

本文2ページ目(問題冊子21ページ目)11行目「ははあ、とやっと胸におちるものが私にあった。」や、同15~16行目「飛んでもない誤解をしていたことが、段々判ってきたのである。」は、会社が「たんなる儲け仕事」(同17行目)のことしか考えていないことに気づいた、という意味であって、自分の構想が未熟だったことに気づいたのではない。「私」は理想家というか、夢想家であり、会長から頭ごなしに否定された自分の構想には、それなりに自信を持っていたのである(本文第1段落)。

④も同様の理由で「都民の現実を見誤っていた」がダメ。⑤も「会長からテーマとの関連不足を指摘されてうろたえ、急いで構想の背景を補おうと」がダメ。

要するに、「会社=現実」に対して「私=理想・夢」の対立軸が見えているかどうかである。「私」が会社に不信感を持ったのは、理想を掲げると見せかけて、ウラでは儲けのことしか考えていない偽善性を見抜いたからである。いっそ儲けだけに徹するのであれば、まだマシなわけだろう(同20行目「この会社のそのような営利精神を憎むのでもない。」)。

 

問2もあまり問題のない問題。「私」が腹を立てたのは、上記の「口では理想を掲げながら、実は儲けることしか考えていない」会社そのものに対してではなくて、それを見抜けず、自分の理想と夢を会社に認めてもらえると一時でも思っていた自分の馬鹿さ加減、騙されやすさ、現実を見る目の甘さであろう。現実の苦みをさんざん味わってきた「私」が、新しい勤め先でようやく夢を語れると思ったら、やはりぜんぜん違った…ということである。

「自分の浅ましさ」、③「自分の無能さ」、④「自分の安直な姿勢」はいずれもダメ。ダミーは②ということになるのだろうが、「暴利をむさぼるような経営」「自分が加担させられていること」に腹を立てたのではないことは、上述のように「私」が会社の営利精神を否定はしていないことで分かる。この会社で自分の夢を語れる、認めてもらえると思っていた自分が甘かった…と、「自分の間抜けさ加減(本文3ページ目〈問題冊子22ページ目〉1行目)に腹を立てているのである。正解は⑤だ。

問1の正解①から、いきなり問2で正解⑤に大きく振る。振り飛車戦法という感じだが、こういう正解選択肢の飛ばし方は、選択式問題の作問の常道である。

 

問3も良問。センターさんのメッセージが込められている。正解は⑤だが、ダミーは②だろう。まず、老爺へのいら立ちや不快感「邪険な口調」の原因としている①③④は即刻「打ち首」である。

老爺へのいら立ちは、そのまま自己嫌悪であるという、「私」の「自責」のメンタリティが読み取れるかどうかが問題だ。自分の不快感を老爺のせいにする「他責」思考に陥るほどには、主人公の「私」はまだ理想も良心も失っていない人間なのである。しかし、その良心を実行に移すほどの勇気がなく、後で見るようにやむを得ぬ盗みを繰り返すほど、自己の弱さにさいなまれてもいる人間なのだ。

良心的な受験生諸君の中には、冷暖房完備の快適な生活にイエネコのように慣れきり、ホームレスの人々の生活などに想像力が及ばず、いまだに、ただ「汚い」「不快だ」などとほざいている幼稚な人々はあまりいないだろうと思うが、そういう他者への想像力のない幼稚な、悪い意味で小学生レベルの受験生をホイホイ引っかけるための選択肢が①③④である。

そういう精神的に幼稚な人は、自分の「主観」で文章を読み、作者の訴えたいことを忠実に聞き取ろうとしないから、こういう問題を出されるとシッカリ引っかかるのである(キツい口調のようだが、医学部受験生諸君のような日本を背負って立つエリート予備軍に対しては、わたくしQ氏は時として鬼軍曹のように厳しいことも言わせてもらう)。①③④には大した違いがないように思えるのも、これらが不正解である証拠だが、中では③の選択肢がいちばんよくできている。

が、③にあるような老爺の「厚かましさ」が「私」の不快感の原因なのではなく、見ようによっては確かに厚かましく感じられるかもしれない(だが必死な)老爺の懇願に、人々の飢えの苦しみを自らよく知っているがために、かえって過敏に反応してしまい、それでも事態をどうにもできない「私」自身のふがいなさが問題なのである。

梅崎春生の主人公って、だいたい、いつもこういう苦しみに追い込まれるんですよ。精神的に弱くて情けないが、「いじましくて小学生的なイエス・キリストのように、世の苦悩を一身に背負わされるんです。そこが面白い。

①③④を選んだ受験生の中には、将来、患者さんを「汚い」「厚かましい」とか言い出しかねない人々が入っているかもしれず、そういう人はまだこころが未熟で、精神年齢がちょっと医学部に届かない恐れがあるのではないだろうかと、わたくしQ氏は思う。果たして本当に医学部でやっていけそうなのか、自分でよ~っく考えてみる必要がありそうだ。

そして勝戦に残る「自責」の選択肢②⑤の②は「彼を救えないことに対し頭を下げ許しを乞いたいと思いつつ、周りの視線を気にしてそれもできない自分へのいらだち」がダメ。「私」が老爺に対し「頭を下げ」たいとまで思ったというのは、そもそも仮定の話だし、頭を下げたいと思った理由も、「これ以上自分を苦しめて呉れるな」(本文3ページ目〈問題冊子22ページ目〉19行目)という気持ちからである。「私」は、自分も直面している飢えの問題と、その問題に対して何もすることができない自分の無力さとを、自分よりもさらに深刻な状態に置かれた老爺の姿から思い知らされた、という解釈が妥当だろう。老爺の悲惨な姿は、「私」に突き付けられた現実の厳しさそのものだったのである。だから正解としては「彼に向き合うことから逃れたい」という内容の⑤がよさそうである。

 

では、次回も選択肢を急いで片付けましょう。