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共通テスト国語2023 (10)──古文①_本文の概要1

暦の上ではもう春である。数日間、ブログ更新が変則的になってしまったが、共通テスト2023・第3問(古文)を検討しよう。

 

今年の古文は12世紀前半に成立した源俊頼(みなもとの としより/しゅんらい)の歌論書『俊頼髄脳』よりの出題である。歌論とはいっても今回の出題文は説話のような内容で、共通テスト古文としては比較的読みやすいレベルだったと思う。今年の古文は、受験生が「助かった」と言える年度である。来年の受験生は古文が怖いかもしれませんよ。

 

古文が苦手な受験生全体に言いたいことなのだが、共通テストの古文は、最悪の場合、緻密に現代語訳できなくとも「なんとなく意味が分かればいい」と考えればよいのである。出題者もそのような臨機応変の方を求めている。

どんな場合にも逐語訳できなければいけないという完璧主義に陥って構えすぎていると、出題文中には知らない古文単語のひとつやふたつは必ず出てくるから、頭がショートしてしまう。デジタルに逐語訳できる文法力は必要なのだが、特に単語の意味が分からないときは、前後の文脈から意味を推理する力が、正確な文法力に増して大切だ。

 

この「前後の文脈を読むのが非常に苦手」という、頭が固いというか、論理的すぎて言葉から情緒や感覚などを受け取る力が弱い人は一定割合でいるし、医学部受験生には多いと思われるが、そういう人でも文脈を読む力がまったくゼロなわけではない。

「自分に足りないところ」を反省し、或る程度努力して補おうとする姿勢は、皆さんのようにまだ心が発展途上にある人々にとっては大切ではないかと思う。「論理的な前後関係が追えればよく、情緒は必要ない」などという偏った考えは捨てた方がよいのではないだろうか。やはり人間は全人的な発達を目標にしないと、当座はよくても、いずれ近しい他人などとのコミュニケーションや、ひいては生活全般に支障を来すものである。

 

さて、とはいえ今回の古文もだいたい意味が分かればよく、わたくしQ氏もここで論評するまでもないと思われるので、以下に概要を示そう。

 

皇后寛子のための舟遊びの場面だというのはリード文に書いてあるから、そういう前提はもちろん見逃さないことである。

藤原頼通での出来事と書かれているが、寛子入内は1050(永承5)年のことらしいから、それより後の出来事であることは間違いないだろう。頼通といえば10円玉の表の図案である宇治の平等院だが、あれは引退後に住んだ別邸で、本宅は高陽院(かやのいん)といって現在の京都市内にあり、代々天皇の住居(里内裏)として使われた豪壮な館だったらしい。大きな池があって名物とされていたらしいので、その本宅での催し物なのかもしれない。

 

【第1段落】

舟遊びのために役人たちが相談して、紅葉を取ってきて船の「屋形」にし、船頭役に若い侍を抜擢し、狩衣の袴を催しにふさわしい色に染めたりして、舟遊びの当日を迎える。島の陰になって見えないところから、華麗な装飾を施された2艘の船が漕ぎ出され、たいへんに風情のある舟遊びの開幕であった。

※1行目「船をばいかがすべき(船をどうしようか)」はせりふと考え、あとに「とて」を補うと分かりやすい。

「屋形」は「屋形船」でおなじみの言葉で、船の甲板上に設けられた家状の覆いのことと思われる。牛車の覆いなどを指す時にも使う。その覆いを、紅葉でめいっぱい装飾したのであろう。

 

【第2段落】

船には楽人たちも乗って、池を周遊していたが、折しも「僧都の君」と呼ばれていた寛子の兄・覚円が普賢堂で祈祷をしていたため、覚円やお供の僧をはじめとする老若の一団が庭に出てきて、花模様の装束に身を包み、平伏して見学していた。

「ゐる」は基本的に「座っている」意味である。貴人たちの前なので、僧侶たちは今でいうビニールシートに当たる筵(むしろ)などを敷いているか、或いは地面にそのまま座っているというイメージでよいと思う。「ゐなみたり」は「居並みたり」で、ズラッと並んで座っている様子だろう。「かかることあり(このような行事がある)とて」とあるから、たまたまその場を通ったのではなく、わざわざ見学に来ているのである。僧侶といっても美しい法服を着ているので、紅葉を散らしたような華やかさであり、船の装飾と視覚的に対をなしている。

※3行目「さし退きつつ群がれゐたり」は、貴人の優雅な舟遊びの手前、恐縮して退きながら平伏している様子を指すとみてよさそうだ。

 

さて、概要を示すだけでも紙数を費やすので、このへんで次回に。