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ニッポン学歴社会14──既得権益の問題(2)

春分「宇宙元旦」と呼ぶ人が増えているようだ。スピリチュアル系の人は「宇宙元旦で地球の高次元への変化が加速する」などと言っている。マユツバだと排斥する人も、それを信じて心豊かに過ごす…という人もいるだろう。他人の権利を制限しない限り、好きに信じればよいのである。科学的なことがらも、非科学的なことがらも、そのつどサラダバーのように好きに信じて、なるべく心豊かに暮らせばよいのである。

「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざは、本当に真実だな…と、わたくしQ氏は毎年感じる。こういうことわざこそ、古人の知恵の集積だ。近々は「老害」を嫌う人が多く、見ていて不愉快で困ったちゃんな老人が増えてきていることも確かだが、古人の知恵とダイレクトにつながって、その知恵を1回きりの自分の経験によって検証するよろこびというのも、世の中には厳として存在する。おいしい老人はめちゃくちゃおいしいのである。

 

いにしえの知恵には、古い味噌のようなコクがあっていい。医学部受験生諸君は、運よく医学部に入ってしまったら、とたんに歴史や文学など「古人の知恵」を楽しむジャンルと、特に時間的に縁遠くなってしまう。古代ギリシアやローマ、中国やインド、或いは日本の賢者たちの知恵を、発酵食品のように毎日食べる癖をつけておくと、恐らく心の健康に非常によろしいかと思う。

こういうことが愉しくなってくるのも、Q氏がおじいちゃんになってきた証だろうか。まだ、おじいちゃんという歳ではないけどね。

 

さて、前回までの学歴論で、日本人が特に既得権益にうるさい民族なのではないか、という思いつきをご披露に及んだ。

平安後期の逸話に次のようなものがある。古文の問題集などに引用されているから、読んだことがある人もいるかもしれない。

 

ある貴族が、当時の新興勢力である武士との間で土地の所有権争いに巻き込まれ、院政開始で有名な白河院白河上皇に裁決を仰いだ。当時は白河院みずからが最高裁判事を兼任していたのである。まだモンテスキューも生まれていないから、三権分立とかがない世の中なんだよね。

武士というのはヤクザのような存在だったらしく、貴族は争いの相手である武士を、社会の害虫という感覚で迷惑がっており、白河院も当然、自分の味方をしてくれるものと期待していた。

この辺の、当時の貴族の武士観が面白い。当時の文章には、何かにつけ「武士はオソロシイ未開民族みたいなやつらだ」という話が出てくる。

 

さて、土地紛争の訴えを受けての白河院の裁決は「武士に土地を与えよ」であった。

納得のいかぬ様子の貴族に対し、白河院は言う。

 

「そなたはたくさんの土地を持っているが、あの武士にはこの土地しかない。その土地を武士に与えてやれば、やつは恩義に感じるに違いない。武士は人間とも思えぬ、気に入らなければ白昼堂々人を殺すような、何をしでかすか分からぬDQNドキュンである。そんなやつらを敵に回すよりも、恩義を売っておいた方が、絶対にそなたのためになる。だから、この土地は、ルールを曲げてでもあの武士に与えてやれ

 

絶対権力を振るったことで、日本史上有数のワガママオヤジのイメージを定着させている白河院だが、さすがの裁定である。こういう、自身ヤクザの大親分のような器の大きさだったから、ワガママも通せたのだろう。白河の親分さん、という感じである。グラサン掛けてベンツに乗ってるイメージだな。伊東四朗あたりをキャスティングか。

…貴族が白河院の裁定にいやいや従うと、すぐに当の武士の従者たちが貴族の日常生活にひそかに関与してくるようになり、蔭になり日なたになって、貴族の身辺を警護するようになった。誰にも知らせず外出しようとしても、すぐに、どこからともなく武装した男たちが現れて、牛車の警護などをこなしたという。ありがたい話だが、どこから秘密の外出の話を聞きつけるのか全く分からず、こいつらを敵に回したら確かにオソロシイな…と実感し、貴族は白河院の裁定のありがたさに感じ入った、というオハナシである。武士には最後まで感謝していないところが苦笑を誘う。

今なら、パンチパーマにグラサンをかけた黒服の男たちが、ササッとやってきて身辺を警備してくれる…という感じのエピソードだろう。

この話、Q氏は好きである。武士の従者たちによる頼んでもいない警備を受け入れながら、牛車の中で紐につかまりながら「…だめだこりゃ。」とか言っているドリフ大爆笑」の故・いかりや長介みたいな貴族の顔が目に浮かぶ。昭和なたとえでスミマセン。

 

何が教訓か。けっきょく、日本人はこれほど土地にこだわるということである。猫の額みたいな土地さえ、後生大事に所有し続けるのが日本人である。一度手に入れた土地を手放してしまうと、二度と代わりの土地は手に入らないのだ。

このような社会で、長らく「土地所有=階級上昇」の図式が成立していたのは、中高で日本史を学んだだけで分かることだ。土地を所有することがステイタスであるという社会は、太平洋戦争終結後、GHQによる農地改革まで続いていたわけだから、まだまだ日本人の意識変革が行われるにはほど遠いだろう。現在の農地法でも、農地には通常の土地と異なる保護と制限が加えられている。

この「土地に対する強烈な執着」が、いまだに社会のあらゆる面で既得権益にしがみつく」日本人の態度の根底にあるような気が、Q氏にはしている。会社を辞めたいのに辞めない中高年サラリーマンの口から、かつては「年を食って、自分はもう転職もできない。こんな自分は、もう会社にしがみつくしか生きていく方法がないんだ」というような自嘲をよく耳にした。これも、いじましい既得権益への執着である。

 

これほど既得権益大好き人間ばかりあふれている日本は、もはや構成員のDNAレベルで、既得権益にしがみつく行動パターンに支配されているのではないかと思われる。「地頭は転んでもただ起きない」こそが、ザ・日本人と言えるようなメンタリティと行動パターンなのではないか。

これを変えるのは、ほとんどムリである。だからいったん有利な地位や待遇を得た高学歴者が、言葉は悪いがハエのように既得権益に群がって立ち去ろうとしない態度を、根本的に正すことはむずかしいのではないかと、Q氏は考えている。

 

では、既得権益を手放そうとしない「エリート」が社会を悪い方に導いていったとき、硬直化した社会はどのように「更新」されてきたのか。それを、やはり歴史を通して検証してみると、日本社会が硬直を打破する際の決まったパターン「外圧」下剋上、もしくはその組み合わせであることが見えてくる。

 

Q氏がつらつら考察してきた「学歴社会」も既に硬直化し、階層化し、まさしく「身分」と化した高学歴者の中で「高学歴バカ」の弊害が目立ってきているとすると、それを打破するにはやはり「外圧」と「下剋上」を組み合わせていくしかないかな…というのが、Q氏なりの処方箋なのである。

長期シリーズになってきたが、まだまだ空気をあえて読まずに、つづく。