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大学入試はどこへ行くのか(3)

三が日も過ぎました。何事もあっという間です。受験生諸君、がんばってますか。

 

さて、大学入試での推薦・AO合格者の比率増加に伴う問題に、とりあえずいくつかの話題を付け加えておこう。

まず、制度に不満をもつ不平一般受験生・一般入学生の主張である。わたくしQ氏が聞いている限り、概して以下のようなものだ。推薦・AO制度に否定的な大人も共有している意見かもしれない。

 

① まず、学力試験なしで有名大学へのパスポートを得るというのがズルい。平常点とプレゼン・小論文などのハードルはあるとはいえ、一般生がこれだけ苦労している学力テスト抜きでの入試は、明らかに不公平である。

現に、推薦・AOで有名(私立)大学への入学を決める生徒には、「オトナでいう営業スマイルを作ることが上手な、要領ばかりよいコ」がかなり交じっており、面接やプレゼンの時だけは殊勝な顔をして通過しているかもしれないが、実は人間性最悪…などというコもいる。早期に入学を決めた段階で強烈なマウンティングを仕掛けてきたり、遊びまくって一般生の受験生生活に無用なノイズを持ち込んだりして、迷惑極まりない。

 

② 推薦・AOで重視される調査書の評定平均は、その学校での評価に過ぎず、学力レベルの学校間格差を考慮して補正していないため、客観性に欠ける。進学校で評定平均の低い生徒が、非進学校で評定平均の高い生徒に負けるという事態が生じうる以上、やはり推薦・AO入学者の入学後の学力は保証されてないことになる。

 

③ 大学が推薦・AOの枠の比重を増やすのは少子化に対応した経営的配慮にすぎず、実は学生の資質など二の次ではないかと疑われる。そのような政治・経済的理由によって、入試に向けてコツコツ努力を積む気をなくさせる、あたかも勤勉の美徳を否定するかのような改革を大学側が率先して実施するならば、社会にモラルハザードが起きる危険性がある(このモラルハザード論」が、推薦・AO枠増加に反対する人の最大の論拠ではないだろうか)。

 

④ 推薦・AO枠が増えたことに伴い、一般入試が異様に狭き門になり、以前は合格できた学力層の学生が合格しないことが常態になっている。これは大学による「偏差値釣り上げ」に過ぎず、企業の株価操作のようなもので、不当である。

 

⑤ 一般入学生によれば、推薦・AO入学生には優秀な人もいるが、学力不足と思われる学生も多数含まれている。特に語学力は低く、必修の英語の授業で基礎的な英単語をまったく知らないなどの醜態をさらす例を多く見聞する。自分があんなに苦労した英語の勉強を途中でやめているんだから、当たり前だろうな…と思いつつ、こんな学力で××大生、いや、そもそも大学生を名乗れるんだ…と白けながら見ている。

 

等々。これはQ氏が今まで実際に現場で聞いた声を、誇張を交えず、適宜言葉を補いつつまとめたものである。

全体として推薦・AOを取れない一般受験生のルサンチマン(怨念)がにじみ出る内容となっているから、この種の不満に対し、推薦・AO生やその保護者からは、

 

「利用できる正規の制度を利用して何が悪い」

「要領がよいのがズルい、と言うのなら、自分も要領よく立ち回ればいいだけの話。それができないというだけで、推薦・AO生とは既に差がついていることを知るべきだ」

「学校での普段の成績も一定水準を確保しているだけでなく、推薦・AO入試のためにかなり周到な準備をしているのだから、努力をしていないと非難される筋合いはない」

 

という反論が返される。反論にはこのような「開き直りタイプ」が多く、「学力偏重は限界に来ている。AO入試は学生の多様性を確保するために絶対に必要であり、自分はその多様化の推進に貢献しているつもりだ」というような、AO入試の趣旨に基づいた反論は聞かれない。本来は、こう反論するのが筋だと思うのだが。

 

批判はあっても、推薦やAO入学者の中には、平常点が非常に高い、優れた学業成績を挙げている人が実際に多い。旧来の推薦入学者タイプである。そういう人に対して、上記①⑤の非難は当てはまらないだろう。②については若干の問題が残るが。

 

現場で指導に当たるQ氏の観察では、「学業成績優秀で性格も真面目、非の打ちどころがない学生なのに、試験本番に弱い」という受験生が一定割合でいる。試験当日になると決まって「おなかが痛く」なってしまう神経質な人で、女子の比率が高い。本番になるととんでもないミスの奇跡的な連続技を発し、信じられないような総崩れ的結果になる。

平時の学業成績に文句がないのだから、こういう学生にこそ、試験一発勝負ではない大学入学ルートを確保してあげる必要があるだろう。このタイプの学生は、試験本番になると毎年繰り返し失敗するから、試験での合格を待っていたら何年かかるか分からない。Q氏は推薦制度というのは、基本的にそういう「優秀だが本番に弱い」人のためにある制度だと考えている。だからQ氏は制度自体を否定しない。

 

また上記①の批判に関連して、Q氏の観察からは、やはり「面接に強いタイプの人」というのが間違いなく一定数おり、実力以上の大学にも推薦やAOで合格することがある。ズバリ、容姿のよい人である。こういうことを言うと身もフタもないのだが、面接などの対面試験を重視すると、結果にルッキズム(外見重視、容貌による差別)の影響が必ず入る。Q氏はAO入試を受ける受験生をひと目見ただけで、だいたい合否が分かる。他人に好ましい印象を与える容姿の人は、面接を伴う試験の合格率が高いのである。容姿のよい人は頭脳もよく見える、というのは、心理学実験においても確かめられているという話だったと思う。

裏を返せば、特にAO合格者の比率を高めると、大学合格も「ただしイケメン・美女に限る」になっていく、ということかもしれない。見た目は地味だが懸命に勉強に邁進しているというような人物が、不利になっていく世の中ではあろうと思う。これは公平といえるか。この点、Q氏には大いに疑問である。

 

また、Q氏も日常的にやっているが、もはや、推薦・AO入試の事前準備・提出物(志願理由書やプレゼンテーション資料)には、高校の先生だけでなく、学習塾や予備校のアドバイザーの手が入りまくっている。受験生単独では思いもつかないような内容を、数多くの「ブレーン」が考え、文章を直し、読みやすい形にまとめるところまでやるのである。しばしば、学校担任や進路担当の先生が直したものを塾や予備校で更に直してもらい、両者「あ・うん」の呼吸で数回の推敲を経由し、完成させることが多い。国会の大臣答弁みたいなもので、AO出願者の出願資料の、少なく見積もって8割以上、おそらく9割以上には「官僚の作文」が入っているはずである。Q氏も「どうしてもと頼まれてやる」ケースが多く、状況に加担している。

 

こう見ると、他人に書類を揃えてもらって、言われた通りに面接の練習をして合格するAO受験生(AO受験生にもそうである人と、そうでない自立した人とがいるという前提で)というのは、議会のタレント候補みたいな感覚だな…と思う。具体的な政策立案能力と実行力が、どの程度望めるか。タレント候補が悪いとは思わないが、そういう存在だな…ということである。

 

さて、この問題、なかなか終わらない。とりあえずあと1回、引き伸ばして申し訳ないが、この問題に割いて、当座の結論としたい。