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大学入試はどこへ行くのか(4)

共通テスト直前につき、はやく共通テストの話題に戻りたいのだが、キリが悪いため、本日まで推薦・AO入試の話で失礼します。

 

推薦・AO入試に対し「不公平感」を抱く受験生やオトナの言い分をまとめると、

 

①学力検査以外の判断基準での選抜は不公平(ルッキズムの影響や、事前準備が可能な書類を外注して作成する余地が生じることなども含む)

②高校の評価の客観性が保証されていない

③「努力は無駄、要領こそすべて」というメッセージを社会に発信することになり、モラルハザードを誘発する

④主に入学者を確保したい大学側の都合による改革であり、「偏差値の不当な釣り上げ」に過ぎない

⑤合格者の学力不足が目立ち、学びの場である大学の特性から考えて、入試の緩和は明らかに裏目に出ている

 

というあたりになろうか。

 

以前から述べている通り、わたくしQ氏は推薦・AO自体には反対ではない。推薦入学にふさわしい学生(優秀だが一発勝負に弱い)というのが昔も今もいるし、人材の多様性も大切だと思うからだ。

 

上記⑤に関して、大学の先生から「推薦・AO入学者と一般入試による入学者とでは、大学入学後の成績に有意な差は見られない」という報告もある。これは推薦・AO肯定側の意見に見られる主張である。

おそらく、調査すると実際にそうなのであろう。理由は3つくらい思いつく。

 

(1) これも日本の大学の伝統で、一般入試で猛勉強して入った学生が、入学後にサボったり、燃え尽きたりして急激に成績を下げる。これは昔から見られる問題である。一般入試の猛勉強の弊害として、反動で入学後の学生にメンタルヘルスの問題が起きやすいことが挙げられる。

(2) 推薦・AO入学生にはそもそも優秀な人がたくさん交じっているため、そういう人は入学後にも難なく好成績を挙げ、もともと頭脳明晰で問題意識もはっきりしているだけに、大学での学びによく適応する。

(3) 大学での学問は専門分野の学習が中心となるが、特に文系学部の専門科目には、高校までの積み上げ式の学習成果を必要とせず、大学に入ってから新たに取り組む形で好成績を挙げられるものが多い。積み上げ式学習が必要なのは必修の英語ぐらいのものであろうが、推薦・AO生には帰国子女など英語習得に有利な立場の人も多いから、うまくすれば高校他教科の蓄積不足が目立たない。また、理系学部は数学や理科で高校の蓄積がなければどうしようもないが、いまだに理系学部は国立大学志望者が主体で、推薦・AOの比率が小さい。

 

Q氏は、これら理由の裏に隠れた事態を重視している。

つまり、推薦・AO入試では「文系学生の地歴、理系学生の理科の圧倒的蓄積不足」が見逃されるということだ。

理系学生の理科は、入学後にボロが出て、場合によっては留年等でツケを払わされるから、まだよいかもしれない。が、文系学生の地歴の知識不足、下手をすると満州事変もソビエト社会主義共和国連邦も知らない(忘れている)ような学生がやすやすと大学生になる(しかもけっこう有名私大の)というような事態は、大学生の知的レベル確保の上では圧倒的に不利だと思える。地理歴史と関係の薄い大学の専門課程では、高校地歴の学習を通じて得られる知識や洞察を抜きに、無事に卒業できるのである。

地理歴史は、まとまった形では高校での学習機会が最後であり、そこでしっかり詰め込まなければ、一生無知なまま過ごせてしまう分野だ。文系の学生にとって、特に歴史は必須教養である。歴史の教養がない学生を、本来はやすやすと文系学部に迎え入れてはいけないと思う。

 

そしてQ氏の観察するところ、文系で推薦・AOを受験する学生は、とにかく地歴の学習から逃げまくるのである。一般入試の学生でさえ、公立高校などでは3学期になっても学校で日本史や世界史が終わらず悲鳴を挙げており、近現代史が手薄になる傾向は昔からの問題だ。そこに早期に大学合格を決められるような制度をむやみに導入すると、文系の学生は英語はともかく、地歴をまったくやらなくなる。後白河法皇とか、教皇のバビロン捕囚とか、ぜんぜん知りまっしぇん。

文系なんか、地歴を勉強しなくてよいこととなると、事実上、英語しか勉強する科目がなくなってしまう。文系受験では本当は地歴・公民を必須としてもいいくらいである。

そういう、劣化ウラン弾ならぬ「劣化受験生」を前に頭を抱える機会が増えているというのも、現場にいるQ氏の偽らざる感想である。まあ、こういう受験生も昔からいたのだが、地歴がおろそかだと志望校にはぜったい受からないため、第2志望校以下にしずしずと進学していたわけである。

 

その他、推薦・AOについてQ氏の意見をまとめておきたい。

 

(イ) 推薦・AOでは、やはり入学者の「学力」は必ずしも保証できない。だから、それを「主流」とするならば大学卒業=学士号授与の要件の厳格化が必要である。知識偏重が悪だと言うなら一般入試はそもそも廃止し、広義のAO入試の方に一本化するのが筋ではないか。AO入試が新たな(一般入試より緩やかではあっても)競争の場となる、ということである。

AO入試は学力本位ではなく人材の多様性を重視するのだから、AOの方を主制度とした方が多様性は確保されるし、AO入試で「学力の高さ」をアピールポイントとしてもよいわけだから、制度として柔軟かつ公正である。

が、大学の卒業要件が緩いままでは学士の知的水準が保てなくなり、社会全体に対して決してよい影響は与えないだろうと思われる。むろん国際競争力も落ちるから、容易に大学を卒業できない制度にすることが不可欠だろう。留年・放校当たり前という、医学部や欧米大学のような制度が望ましい。

(ロ) そうでなければ、推薦・AO入学者の比率はやはり入学者の2割、多くて3割以下に抑えるのが妥当だろう。5割、6割は多すぎである。或いは、一般入学者に特権を付与し、あらゆる点で「正攻法の一般入試で合格するのが本筋」という建前を残すかである。

 

大学としては、少子化を踏まえて経営基盤を強化する必要がある中、今さら(ロ)は維持できないということになるだろう。だったら、AO入試をもう少し全体に広げ、一般入試を廃止するくらいの大胆な改革に出る必要があるのではないか。あるいは、すべての入試にAO的要素と学力試験とを併せて課すか、である。

 

ゆくゆくは、だいたいその辺に落ち着くように制度変更が繰り返されるのではないかとQ氏は読んでいるが、現在、すでにモラルハザードは起きつつあるとも思っている。旧センター試験から共通テストへの(いささか中途半端な)変更も、このような大学入試改革の、ひいては日本社会の構造変化の大きな流れの一環である。

医学部受験生も「自分には関係ない」と言わずに、自分が所属している社会の変化はつぶさに見ながら、自分の進路を決めていってください。

 

次回からは共通テストまで、再び国語の話題その他をお送りしたいと思う。