オンライン医学部予備校

2023年度入試で医学部(東大京大)への合格を目指す全ての受験生をサポートします。

サブノートは作ってはいけない?

前回は、勉強のさいに筆記の労力がばかにならないことを述べた。ここで少し脱線。

 

よく「受験勉強では『作業』に逃げるな」という教訓が語られる。勉強をしているように見えて、実は「単純作業」をしているだけの状態になるな、という戒めである。

理系受験生や医学部受験生にはピンとこないかもしれないが、特に文系受験生の「地歴」で、この「作業」と「勉強」の違いがよく問題にされる。

 

医学部受験生で共通テストに世界史B・日本史Bを選択している人は少ないかもしれないが、文系だと国立二次や私大一般入試のために、日本史Bか世界史Bを選択することが多い。

この、特に高校歴史科目はめちゃくちゃ大変なのである。

多くの受験生がそれに気づかず、歴史をナメきったまま「オレって早慶志望だから」とかうそぶき、案の定、歴史科目ができずに海の藻屑と消える。

そこの文系受験生、「早慶志望」「早慶コース」はあくまで「早慶」じゃないからね。

 

高校歴史、特に日本史Bは、地獄の分量と細かさなのである。世界史Bは対象の地理的範囲が広い分、日本史Bより掘り下げが浅くてすむ部分があるが、タテ・ヨコの立体的理解をしなければならないので、やはり大変。地理Bも、時系列の変化が大きく羅列的な事項の記憶は非常に大変で、地学の要素も入るし、人気大学ほどマイナー分野が出るため、気が抜けない。

わたくしQ氏は医学部生の勉強をしたことがないが、記憶事項が膨大な高校地歴は、やっていることが医学部っぽいのではないだろうか。

 

医学部受験者の中には、はっきり言って、内心いわゆる文系を馬鹿にしている人も、かなりいるのではないかと思う。

が、文系科目の中では、社会科、特に歴史科目を徹底的に学ぶことによって、人類集団に対するかなり広い視野と、透徹した心眼を得ることができるものだ。

サイエンスに従事する人と話していると、専門家でも、歴史や社会科学に関する知識があまりにも乏しい例をしばしば見聞する。文系のサイエンス音痴もひどいものだが、欠落部分が大きいという点では、理系の歴史オンチと、Q氏には五十歩百歩としか思えない。

(「地歴をろくにやらずに大学生になった文系」には、確かに若干のポンコツ疑惑がある。地歴をあまりやらずに第1志望校に落ち、そのまま第2志望以下の大学に進学した学生などに多い。特に歴史は、高校文系科目では蟹のミソみたいなもので「これを食べないでどうする」というべき核心成分なのだが、めんどくさいから逃げ続ける受験生が多いのである。歴史を知らない文系こそ、いわゆる「ぐうたら文系」のイメージ。)

 

その歴史を勉強するさいに、特に女子受験生に多いのが「一からきちょうめんにサブノートを作る」人である。教科書を読み込んで内容をノートにまとめ、ていねいに図を描いたり、イラストが得意な受験生だと、指示棒を持ったペンギンや、学帽をかぶった謎のユル~い宇宙生物など、オリジナルの解説キャラクターを考案して、ひと口メモみたいなものを書き込んだりする。

「うまいねえ…そのペンギンは何?」と笑いながらたずねると「ファーストペンギン*です。」という答えが返ってきたりする。

 *群れの中で最初に冷たい水に飛び込むペンギン、すなわち勇気ある先駆者。

われわれ受験「業界」では、この「作業」はタブーとして、受験生に積極的に禁ずることが多い。ファーストペンギンには捨てがたいものがあるが。

なぜなら、おそらく受験本番までに終わらないからだ。

高校歴史教科書は、サブノート作りを(他教科の勉強と並行して)やると、平気で2年くらいかかってしまう分量なのである。

 

そして、サブノートを作っている最中、受験生の意識は「ひとくち解説をするファーストペンギンを、今回はどのスペースに、どの角度から描くか」などに向いてしまい、肝心の「江戸前期の文化史」がアタマから飛ぶ。

業界では「ノートのきれいな女子受験生ほど落ちる」とも言われる。「受験生活の記念」とばかり、きれいなノートをまとめることにイラストレーター的に夢中になりすぎ、肝心の学習内容が頭に入っていない受験生を戒めた言葉である。

 

筆記という「作業」は、「それ」が目的化して「考える」対象となってしまい、作業をやっている間に肝心の学習内容については「アタマが空っぽになる」危険性を確かに持っている。

だから「サブノートを作るな」と戒められた文系受験生の多くは、ただひたすら教科書や参考書を繰り返し読み、マーカーや付箋であちこちを汚しながら、ひたすら用語を覚え、問題集や過去問演習をやって受験を乗り切る。せいぜい、出版社が出している穴埋め式のサブノートを埋める程度だ。

 

が、「筆記そのものが悪いか」と言われれば、そうではないのではないかとQ氏には思える。「アタマが空っぽになる」ことは確かに問題なのだが、筆記という作業にはどうしてもそういう「写経」としての性格がともなう。

筆記した内容をあとで繰り返し見直すなどの復習をすれば、むしろ一度、ノートづくりを通じて「カラダで覚えた」受験生の方が、学習内容が定着するかもしれない。

現にQ氏は、以前に紹介した「地獄の日本史B特訓」を通じ、ひたすら筆記した受験生が、本番で軒並み高得点を挙げた現場を見ている。また、きれいなノートの女子学生にも、当然ながら、受かる人と受からない人とがいる。

「筆記がダメ」という意見は、「時間がないからやり切れない」の意味だと、Q氏は解釈している。

 

医学部受験では、サブノートを作らなければならない科目はあまりないかもしれない。せいぜい化学の一部と、生物の一部か。むしろ、問題を解くためにノートに筆記することがほとんどだろう。だから、筆記の量も過不足ないだろうし、筆記の是非についても、あまり考えずにすんでいるかもしれない。

だが「ノートづくりはダメ」という意見が大学受験界には存在するので、「筆記そのものに効果がないのではなく、期限までにすべての項目をもれなく筆記することは難しいから、時間の節約を優先して筆記はやらないのだ」というふうに、その意見に私註をつけておきたい。

人間には、書くことによって頭を整理する必要もある。筆記を勉強にどう取り入れるかは、あくまでもバランスの問題だと思う。そして、そのバランスには個人差があり、正解はない。

 

「ノートを作っている受験生は負け」という意見も「T大生はノートが綺麗」という意見も、世の中には両方、出回っている。実際に受験勉強に邁進している諸君は、「それぞれ、どのような根拠からの発言か」を冷静に見極め、自分に合った方法を採ることをおすすめする。

 

今回は「書く」話でした。また次回。