オンライン医学部予備校

2023年度入試で医学部(東大京大)への合格を目指す全ての受験生をサポートします。

ニッポン学歴社会①──日本は学歴社会か?

さて、国公立医学部前期試験の終了である。受験生の皆さん、おつかれさまです。

ハードな入試関連記事が続いたため、わたくしQ氏もストック記事を消費し尽くし、かなり疲れた。しばらく世間話モードに戻ろうと思うが、お許し願いたい。

 

大学医学部志望者だけでなく、世間のかなりの人々が好み、また反発する話題に「学歴」がある。日本は学歴社会かと聞かれたら、YESと答える人の割合は高いだろう。テレビでは有名大学の学生を集めたクイズ番組が人気を集め、お笑い芸人でさえ有名大卒の肩書をちらつかせる時代だ。大企業における「学歴フィルター」の存否も常に話題になる。

 

日本が学歴社会であるかどうかは、学歴社会の定義によるだろう。社会的ステイタスが高いとされる大企業の正社員の地位を得るためには、いわゆる偏差値ランキング上位大学の学士号が必須とされるという(それなりに信頼性が高い)推測が成り立つならば、日本は最終学歴で社会的地位を左右される学歴社会であるということになる。ただしその場合の「学歴」は「高卒」「大卒」「大学院卒」などの修了段階や取得学位ではなく、「××大学卒」という「学校歴」を意味する、ということもよく言われる。

 

一方で、日本は中卒・高卒社長が年商ン百億円の企業を率いる…等のビジネス成功譚も多く、特に極端な経済的成功に学歴は関係ない、という言説も根強い。経済的成功の規定要因としては、学歴はまだまだ弱いわけである。また、社会の部分集団によっては、学歴が「下」の者に対する学歴差別も存在する一方、学歴が「上」の者に対する「逆学歴差別も存在する。

受験生は偏差値マウンティングをし、サラリーマンやママ友は学歴を自慢したり、学歴自慢に反発したりし、おじいちゃんおばあちゃんは孫の大学合格に一喜一憂する。自分の学歴も他人の学歴も、気にしない人がいる代わりに、ものすごく気にする人がいる。学歴は、確かに日常至るところで、日本人をかなり縛っていると言えるかもしれない。

 

大学医学部というのは、国公立・私立の有名大学と共に、学歴社会のヒエラルキーの上位にある。だからこそ、医学部を卒業してなる医師には、医学そのものを学びたい人、患者を援助したい人などのほかに「医師に許された社会的地位と収入を得たい」という「不純な動機」から参入してきた人が一定割合含まれるだろう。多くの医師が「実際の医師の仕事は、単にカネと地位目当てでは続けられないくらいの激務である」とは証言するが、参入段階で十代の人も多いことからすれば、すべての医学生が「不純な動機」を逃れられているとは考えにくい。思春期の少年が「女の子にモテたい」と思ってギターを弾き始めるのと同じである。入口には、かなり動機が不純な人がたむろしている。

 

が、社会通念上は何となく「学歴社会の勝者」の立場を主張することを許される以上、医学生も、また医学生予備軍としての医学部受験生も、日本の学歴社会については一定の考えを持っていた方がいいだろう。日本が実際に学歴社会なのであれば、その勝者は敗者の命運を左右するような権力を手にする機会が増えるし、その分、敗者の恨みを買うことも多くなる。素朴な学歴マウンティングをする人を見ていつも思うのは、そんな自慢を繰り返して、あとで誰かに後ろから殴られるなどとは考えないのかな…ということである。Q氏に言わせれば、学歴も年収や恋愛経験などと同じく、非常にプライベートな話題であり、相手に聞くことも自ら話すこともはばかられる話である。

 

とはいえ、学歴を話題にするのをはばかっている時点でQ氏も学歴主義者ではないか、と言われれば、ぐうの音も出ない。学歴という話題の気持ち悪さは、肯定的に語っても否定的に語っても、必ず何らかのねちっこい厭らしさを伴うことだ。ポジティブに語れば自慢していると言われ、ネガティブに語ればひがんでいると言われる。執拗に無視して一切語らなければ「何か隠している」と疑われるし、少しでも語れば「自慢している」「ひがんでいる」のどちらかのレッテルを貼られる。「まったく気にしていない」と言えば、共感する人もいる代わりに、かなり多数の人が「嘘だ。ほんとうのことを言え」とくる。

 

特に大学受験の話だけしながら、学歴社会の話を避けて通ることは、かなり不自然なのである。そこでQ氏もこの際、学歴に関して日ごろ考えていることを一斉放出してみようと思う。何回シリーズになるかどうか分からないが、論というよりもエッセイ風に、とりとめもなくまとめてみたい。

(つづく)