オンライン医学部予備校

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シンクロニシティ

国公立大学医学部受験生諸君、おはようございます。試験2日目の朝ですね。

今日も試験会場にはちゃんと間に合っていますか。

残り1日、皆さんができるだけのことをやれるように、わたくしQ氏も陰ながらお祈りしております。

 

入学試験当日のような人生の特殊な日は、毎週のありふれた日とはやはり違う。

前回、未成年飲酒で二日酔いになりながら受験したQ氏のコンプライアンス無視のハチャメチャ受験エピソード」などをお恥ずかしながら披露したが、

大学入試の日などは、時間が経ってもディテールを割に記憶しているものである。今回、Q氏は改めてそう思い返した。時が経っても、人生の転機となる日はこんな風に覚えているものなのだな、と。

 

皆さんはどうか知らないが、今朝、試験会場に向かうまでの一歩一歩が、意外と、のちのちまで記憶に刻まれたりする。

初日の受験で、もうある程度緊張は解けただろうか。今日は昨日にも増して自然体で、問題と取り組めるといいですね。

 

Q氏も同年齢の人並みに、人生においてさまざまな試験を受けてきた。受かったり落ちたりを繰り返してきたが、考えてみれば「試験の日にはいつもやっている」ことがある。

それは「その場にいる人々やモノをつぶさに観察する」ことである。

 

Q氏の大学受験当時の制度では、国公立大は現在の前期と後期に当たる日程を両方受けた。後期日程に当たる大学が本命校だったのだが、前期日程で二日酔い受験というとんでもない経験をしたので、今度は万全を期してビジネスホテルに連泊し、不測の事態を防ぐことに努めた。

 

しかし、連泊している間に、まずビジネスホテルの洗面台が、壊れてガタンと外れた。

非常に縁起が悪い気がして、嫌~な気分になったことを記憶している。

洗面台が外れるところから、ドミノ倒し式に悪いことが起こり、試験まで運命の歯車が狂い続けたらどうしよう…と焦りを感じた。

 

案の定、試験当日、得意科目の時間で冒頭30分、問題文がまるで「インクのしみ」のようにしか見えない「失読」状態に陥り、非常に危ういところまで追い込まれた話は、以前もご披露したと思う。万全を期したつもりでも、試験は当日の当日まで、何が起こるのか分からないものである。

 

失読体験をした試験当日、Q氏は運命の歯車が良い方に回転し始める動きと、悪い方に回転しようとする動きとが、両方、目まぐるしく錯綜しながら進行しているように強く感じた。レールの上をきしりながら走っている、錆びきった車輪のような重たいものを意識したのである。

車輪は次のカーブですぐに脱輪してしまうかもしれず、或いは激しい摩擦音を立てながらも、無事に曲がりきるかもしれない。寒気と暖気が押し合いながら春を迎えていくように、Q氏の「運命の刻(とき)も、幸と不幸とが相携え、せめぎ合いながらいま進みつつあるのだな…と感じたことを、今日でも鮮明に記憶している。

 

そういう「運命の足音に集中して耳を傾けるべき時」というのは、人生にしばしば訪れる。いわゆる転機というものだが、大学の入学試験が何の転機にもならない人というのは珍しいだろう。

ならば、どちらになるのか分からない状態を「よい方に転ばせる」にはどうしたらよいのか。人々にとって永遠の課題だと思う。

 

Q氏が確かな答えを持っているわけではないのだが、諸君の人生よりも長い時間を通じて感じているのは、次のようなことである。

「よい方に転ばせようとか、悪い方に転んだらどうしようとか、あらゆる考えを捨てて、ただその場の出来事を静かに眺め、出来事のディテールまでをつぶさに見ること」

によって、雑念のようなものを頭の中から徹底的に排除することができ、運命の歯車の微細な動きにまで「チャンネルを合わせる」ことができるような気がすることだ。

やや抽象的だが、やはり何か座禅とか、マインドフルネスとかに近い話なのかもしれない。そのような境地に入ることによって、Q氏は今まで、危機もヤマ場も何とか乗り切れているような気がしている。

 

試験会場では、周囲の受験生をつぶさに観察するといい。あの人は不安そうだ、とか、あの人はずいぶん背中が大きいな…とか。或いは好みの異性(あるいは同性)を探す。Q氏は試験会場では、いつもちょっと気になる異性を探して、問題用紙や解答用紙の配布中や回収中、或いは休み時間ごとにその人を観察していた。そうしたからといって何があるわけでもないが、心が多少ときめき、ほっこりするものである。

また、事情が許せば、試験会場に来ている他の受験生と声を掛け合い、知らない受験生と会話しながら、互いに励まし合ったりしていた。Q氏の隣の浪人生が、水を張ったタライを会場に持ち込んで、そこに足を漬けながら受験しており、Q氏はそれを話題にして、その浪人生とひととき楽しく話したのを覚えている。むかしの受験会場は大らかだったものである。あの浪人生はいまどうしているだろうか。一期一会とは、まさにこのようなことか。

 

試験前、通りかかる車のナンバープレートや、街の看板などに、いわゆるエンジェルナンバー、「ゾロ目」を見ることなどがある。或いは、たまに同じ言葉が各所で繰り返されるのを目にしたり、耳にしたりすることがある。このような「意味ある偶然(シンクロニシティ)」には特によく注意を向けたい。人生が大きく動いているとき、皆さんの生活に大きな転機が来ているときは、経験的に、不思議な偶然に出遭うことがままあるものである。

試験当日ではないが、Q氏は1日に3回、バラバラな場所で「沈黙は金」というコトバを見聞きしたことがある。あ、これは何か超自然的なものからのメッセージなのかな…などと感じた。

 

そういう偶然があったから、何かが起こるというわけでもない。シンクロニシティがあったら試験に受かるわけでもないし、シンクロニシティがなかったから試験に落ちるわけでもない。

だが、そういうディテールは、あとあとまで記憶に残り、折にふれ人生の不思議な想い出になる。人生の時間には濃度の差があり、時間が濃いときと、薄いときがあるのだ。濃い時間が経過するときは、その濃さを味わうのがよいような気がする。

 

とりとめもない話だが、Q氏がよく感じることである。受験生の皆さん、ミルクティーのように濃密な時間を、すみずみまで味わってください。