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差がつく問題にこそ手を出す



さて、では2次試験で国語を課す国立大学(山形大・東京大・名古屋大・京都大)の国語試験問題を考えるうえで、どういう見方をすればよいのだろうか。

 

前回述べた「理系大学2次試験で国語の試験を実施する意味」から考えれば、大方針はおのずから立つのではないだろうかと思う。

言語的思考力・表現力などの基本的資質を確かめたいというのがこれらの大学の出題趣旨なのだと考えられるから(受験生のある程度の「教養」を確かめようとする出題もあるが)、国語問題は記述・論述問題で取ってナンボであり、漢字や語句をいかににわか勉強しても、あまり、ライバルと差がつくような高得点は望めないのである(漢字や語句の勉強が無駄だと言っているのではない)。

そして、理系受験生の中には言語的記述・論述を苦手とする人が非常に多いから、上記4校では国語のできる医学部受験生が、それなりのアドバンテージを得ることが可能なのである(また、そうでなければ国語の試験を課す意味がない)。

 

それゆえ、わたくしQ氏も2023年の共通テストについてやったように、上記4大学の毎年の国語の出題をひっくり返し、もっくり返しして、年度ごとの出題傾向などを細かく分析しても、最終的な対策にはならないのである。

もちろん、そういう分析はまったく無駄ではないし、時間をかけてそういう志望校分析をじっくりやりながら勉強していけば、志望校の狭き門を突破できる可能性はとうぜん高まる。だから、細かい分析も一度はぜひやってみるべきである。実際に、国公立大2次試験の国語問題の分析をかなり細かくなさっている予備校の先生の記事などが、ネット上でタダで閲覧可能だから、いい時代になったものである。Q氏の受験生時代と違って、情報はふんだんにあるよね。問題はそれを利用する力だ。

武川 晋也|note

が、志望校のどんな年度の国語問題を解いても満点近くを取れるという受験生でない限り、必ず、細かい分析以前にやることがある。

 

「出題傾向というのはあってないようなもの」とまで言うのは言い過ぎだとしても、基本的には「どんな文章を出されても慌てず対応できる」能力を養っておかないと、出題傾向などは試験委員の先生方の意向で簡単に変えられるのだから、いつまで経っても出題傾向に振り回される受け身の受験生にしかなれない。問題分析を提供している予備校の情報などを見ても、そんなことは、はなから当たり前の話とされているのが普通だろう。

だが、やはりそういう「基本的なこと」で勘違いをしている人が、フタを開けてみるとウヨウヨいるのが、どの世界を覗いても同じ事情である。だから、Q氏はむしろ、「先端的かつ詳細な情報をうまく利用できず、それに振り回され、基本の『型』がおろそかになっている受験生」を念頭に、注意をしてみたいと思う(受験ブログも役割分担が必要ですね)。

 

2次に国語のある大学医学部の国語対策と言っても、この時期だから、かなり自力でやれている受験生以外に、とにかく土壇場で国語の得点を少しでも上積みし、ライバルに差をつけたい…と焦っている人は、もう、やることをかなり限定した方がよいと思う。

 

数学があまりにも不得意な中学生というのは非常に数が多く(政党を結成して国会に進出したら、間違いなく無視できぬ勢力を形成するだろう)、高校受験メインの地方などでは、高校入試では数学で壊滅的な点を取る。

受験対策にも出遅れ、小学校の算数レベルも怪しい…というような中学生は、どのみち今からがんばっても高校入試数学で高得点は取れない。だから、せめては計算問題をしっかりできるように…という親心から、学習塾などでは計算を練習させ、数学で0点やひとケタを取らずに、他科目で挽回できるように配慮するのである。諸君が大学生になって、塾講師や家庭教師のバイトで学力の低い小中学生を指導する際には、有効なやり方であろう。

 

が、実は「試験に受かるための得点をもぎ取る」ならば、「ライバル受験生ができない問題をできるようにする」方が近道なのである。一定レベル以上の見識を必要とする問題では、その科目が不得意な受験生はどんどん落伍していく。そういう問題は受験生に対するフィルターとしての機能(弁別力)が高い問題と言われるようだが、弁別力の高い問題が高配点なのは世の試験の常である。

択一式に弁別力の高い問題を1問忍び込ませれば、弁別力が高い割に配点が低い問題は作れるが、それでは問題を多く作らねばならず、作問の負担が大きい。受験生から見ても小さな問題に異様に時間を食うことになり、作問者・受験生双方にとってあまりメリットがなくなる。そのような経済原則は、入試問題作りにも確実に反映する。

 

「出題者心理を読む」ウラ技の発想と同じく、出題者の意図を汲むとすれば、医学部2次の国語では、結局は「記述・論述問題を1問でも多く、しかもなるべく的確に書く」のが試験突破の早道なのではないかと、Q氏は考えている。

チマチマ漢字・語句だけ取っても、得点はあまり伸びない。国語が不得意だから確実に取れるところだけ取る…という発想は、戦いにおいては必敗の姿勢ではないかとQ氏は思う。

 

だから、今から国語のにわか対策を意識するような受験生にお勧めしたいのは「にわか対策であればあるほど、狭く深く」やることである。

おそらく、知的に絶対優勢に立っていて「何でもできてしまう」ような受験生と競うのではなく、国語の得点を少しでも上乗せすることによって、「自分と同じ当落線上にいるライバル」に国語で勝つには、「現代文の論述・記述に1問でも多く手を出し、リスクを取りまくる代わりに部分点も取りまくる」のがいちばん現実的な方策だと思う。ヤマをかける…という話に近いが、国語の場合は「記述・論述が出る」ということ自体がヤマなのだから、このヤマかけは絶対に外れることはない。

 

山形大と名大医学部志望者は、現代文しかないのだから、とにかく記述・論述を書きまくろう。京大東大(常に「東大京大」という表記をするのは妙な東高西低の序列意識があって嫌なので、弥生文化が伝播した地域順に呼ぶことにしようか)も基本的には同じである。

ライバルの理系学生は、記述問題を敬遠する。だからこそ多くのバッターが敬遠する球に手を出し、とにかくバットを振って1回でも多く当てるのである。

 

「いや、Q氏はそう言うけど、難関大の記述って難しいんじゃ…」という諸君、甘いな…とまでは言わないが、

「皆が記述・論述は何となく難しいと思っているだけで、文章が読めてさえいれば、シロウトでも必ずバットを振れ、そこそこ当てることはできる」

のである。

記述論述のコツというのは「いかに他人のフンドシでうまく相撲を取るか」であり、まずは「本文中の記述のどこが使えるか」を的確に探し出す能力、言いかえれば「本文のポイントをいちはやく見つけ出す能力」がいちばん重要である。それができるようになるために、諸君は長い時間をかけて文章を読む訓練を積んできたわけだから、あまりにもトンチンカンな精神生活を送ってきた人でない限り、もう、だいたい本文のポイントは探し出せる。実際に、ポイントを見つけ出せるようになれば、その人に関して国語教育の目的は達成されたとも言えるのである。共通テストはこの能力と、選択肢の吟味力だけで行けた。

 

その「ポイントを探す」能力を前提に、あとは切り貼り、コラージュの能力を養うのである。記述論述などと言ったって、人間にはそうそうオリジナルな発想や、オリジナルな論理展開などを、いきなりやりこなすことはできないものだ。特に受験生諸君の大部分の年齢の人にとっては、国語力はまだ発展途上であり、自分の意見を論理的に展開する能力などは未発達なのが普通である。

だから、難関大入試の記述論述でも、実は、あまりにもオリジナルで高度な言語力はさほど求められていない。他人の意見をコラージュして、一貫性を持たせることができればよいのである。ただし、本文の趣旨をキチンと読み取ることは絶対の要請。これは共通テストと共通で、要するに大学入試は、作者の言っていることをいかに客観的に読み取るかの能力を試す設問がほとんどなのである。だから、共通テストのル・コルビュジエと曲がりなりにも取り組めた受験生は、難関国立2次の問題も行ける。要求される能力の断絶は、そこにはない。

 

さて、では、とにかく現代文の記述・論述問題対策に絞って、次回以降、前期試験直前までやり切ろう。受験生諸君がパンでもかじりながら片手間に読んで、少しでもヒントになるような記事を提供できれば、Q氏としても本望である。