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共通テスト国語2023 (9)──小説④_選択肢の検討その3

節分である。大寒波の真っ最中に比べればやはり多少は気温が上がってきたように思える。わたくしQ氏の住まいの近くでも、梅の花がちらほらほころんでいるのが見られる。医学部受験生の皆さんの闘いはまだまだ続きますね。

本日は更新時刻が少し遅くなってしまいました。

 

さて、共通テスト2023・第2問(小説)の選択肢の検討である。共通テストの売りである新形式、読者の「メモ」を扱った問7を見てみよう。

マツダランプ」の広告を引用した【資料】に基づく研究は非常に面白いのだが、さすがに、大問4つがすべていちいち「メモ」「話し合い」付きでは大変だ…という受験生の負担感も分かる。Q氏は共通テストの新形式に焦りすぎないよう、受験生に再三申し上げてきたが、確かに問題数がちょっと無駄に多い気もしますな。

大問4つのすべてに「メモ」や「話し合い」をつけないで、どれか2つに絞り、しかも評論・小説・古文・漢文のうち、どの2つに「メモ」「話し合い」がつくかは毎年本番にならないと分からない…くらいでいいのではないかと思う。メモや話し合いをつけるなら、本文に関する5択の問題を1問ずつ削るくらいの配慮は欲しい。

 

他教科でもそうだが、問題数が多すぎて時間内に終えられない人が続出するとしても、終わらないなりに1人1人の点数は決まり、それに従って順位は定まってくるのだから、多少問題のやり残しが出ても仕方がない…くらいのつもりで行くしかなくなるだろう。

処理スピードが速くて、多少問題分量が増えても時間内に余裕で終えられる人は一定割合いるが、完全に解き終わらない人の割合も増えるわけだから、問題が全部終わらなかったのに順位はさほど悪くなかった、という場合も生じうる。

 

センターさんのこの「異様に問題分量を増やすサディストぶり」に何の利点があるのかは分からないのだが、大学入試だけでなく、中学高校入試なども、年々無駄に難化する気配が感じられている。Q氏には「だれ得」なのかが、とうとうよく分からない。

平均点が高くとも低くとも順位は出るのだから、常に平均点が6割程度に落ち着くテストの方が、難易度のバランスが取れていていいような気がする。平均点の低いテストというのは、受験生に無用のストレスを与えるだけで、選抜方法としてどれほどの意味があるのか疑問である。

まあ、誰もが薄々想像はしていると思うが、非人間的なスパルタ教育を売りにする周辺国の追い上げによる、日本の文部行政当事者の焦りが原因だろう。そんな他国の動向に容易に影響されて教育の軸足をブレさせること自体が日本没落の原因になりうるのだが、現在のところ共通テストの「改革」は吉と出るか凶と出るか、まだ評価できない。

Q氏の目下の判定では、センター試験時代の方が、問題分量や難易度のバランスが良かったと思われる。共通テスト国語の「メモ」「話し合い」形式などは面白いし有意義だが、だったら他の問題を減らしてもよいのではないか。そもそもセンター試験の内容が、択一式という制限の中では特に悪くなかったわけだし、何のために共通テストにしたのか、今のところあまりハッキリ意義が分からないようにも思う。

 

さて、小説の問7は読者による研究をまとめた【文章】にもとづく設問である。

本文末尾の「曇り空の下で灰色のこの焼けビルは、私の飢えの季節の象徴のようにかなしくそそり立っていたのである。」を踏まえた問題だが、この「焼けビル」はQ氏も以前のエントリーで述べた「象徴」である。

 

(どうでもいい話だが、先月までのQ氏担当のブログエントリーで国立西洋美術館の「考える人」に言及したら、評論に設計者のル・コルビュジエが出題され、小説の読解で事前に「象徴」の重要性に言及したら、本問の「焼けビル」の象徴が出題され、あとで見るように古文で和歌の「掛詞」への注意を喚起したら、連歌掛詞がストレートに出題された。

Q氏は昔から予知夢を見たり心霊っぽい体験をしたりすることが確かに多いのだが、今回の共通テストに関しても、すべて「的中」とかドヤ顔をしようとすれば、できるのかもしれない。けれど、象徴や掛詞は今年でなくとも重要なポイントなのであり、これらに予め言及しておけば、出題予想の的中率は上がるに決まっているのである。要は、出るところは決まっているということ。諸君は解説者の「的中自慢」にあまり惑わされないことをおすすめする。)

 

(ⅰ)引用されたマツダランプの広告と「焼けビル」との共通点を問う問題だが、選択肢②④がそれぞれ「倹約の精神」「国家貢献を重視する方針」の部分でダメだろう。

その共通点は「会長の仕事のやり方とも重なる」とあるので、本文2ページ(問題冊子21ページ)目の最後の部分を読むと、「私」が入社した広告会社は、戦中は情報局(情報収集や統制を任務とする国家機関)と組んで仕事をし、戦争が終わると「掌をかえしたように文化国家の建設の啓蒙」を始めたわけだが、正反対の仕事であるはずの両者は、ともに「たんなる儲け仕事」であり「営利精神」によるものだったという点で、共通していたのである。

残る選択肢①③のうち、①は「戦時下の軍事的圧力の影響」がダメだろう。「会長の仕事」は、戦後は文化国家の建設に向いているのだから、軍事的圧力の影響が存続しているのではなく「営利ばかり追求する仕事のやり方の本質が変わっていない」というのが本文に沿った「共通点」である。やや抽象的な内容の③が正解である。

 

(ⅱ)は「焼けビル」という象徴の解釈を問う問題だが、この象徴には複数の解釈がありうるだろう。見当はずれなのはまず①。④も「勇気」の象徴というには、焼けビルのイメージは不適切だからダメだろう。そそり立つ焼けビルは、主人公が別れを告げて前へと歩み出そうとしている「過去の飢えた生活の亡霊」と解釈はできるので、残り②③のうち、③の「飢えた生活や不本意な仕事との決別の象徴」も一見適切なような気がする。

だが、論理的に言えば「決別の象徴」はおかしい。「飢えた生活や不本意な仕事の象徴」ならば、ラストシーンはそれと「決別」する場面なわけだから、論理的に矛盾はしない。が、「決別の象徴」はおかしいわけだから、消去法でも正解は②ということになるだろう。

確かに②の「解消すべき飢えが継続していることの象徴」というのは、決別を告げたにもかかわらず、まだ焼けビルが亡霊のように立っていることから、

「勇気をもって会社に別れを告げたにもかかわらず、飢えの象徴である焼けビルはまだ不気味な存在感を保っており、今後も当分は『私』を見逃してくれそうにない。だから『私』の前途に、まだ飢えの影は落ちたままだろう」

という解釈だと考えれば、可能だし、妥当だろう。

非常によくできた、ブンガク鑑賞の模範的なあり方を具現化した解釈なのだが、こういうのは大学の日本文学科のゼミででもやるべき内容であって、やはりセンターさん好みの解釈への強引な誘導なのではないかという感想はぬぐえない。作問者が自分の解釈を披露して悦に入っているだけのような気がするのである。評論はともかく、小説の解釈にはかなりの幅を見込むべきだし、客観性を重視すべき大学入試では、もうちょっと中立的な問題を望みたい。

 

たとえば、作品の解釈についての学生の架空の討論を掲載し、学生の発言の一部に傍線を引き、その真意を説明した選択肢を選ばせる問題など。「文に書いてあることを客観的に把握させる」以外に、踏み込み過ぎた解釈をいきなり受験生に要求する(押し付ける)のは、こういう大規模試験では反則でしかない気がするのだ。討論形式の問題は初期のセンター試験に見られたのだが、「好き勝手な解釈を要求するな」という異論が出て辞めた経緯があったように思うが、どうだったか。解釈が自由なのはもちろんだが、さまざまな解釈の面白さを伝えたければ、架空討論でいろいろな解釈を予め提示する…等の方が適切ではないかと思う。

 

いずれにせよ、多少疑問の残る問題があったが、小説の出題の中では選択肢の根拠が割としっかりしている方で、本文も時代への問題提起を感じさせ、総合点では80点くらいの評価である。特に「『私』が農作物を盗んでいるのかどうか」を読み込ませる配慮はよかった。

 

次回からは、古文漢文もひととおり解説しよう。