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「われらの時代」の終焉

ノーベル文学賞を日本で2人目に受賞した、作家の大江健三郎氏が老衰で亡くなった。88歳。

国語担当講師のわたくしQ氏としては、ひとつの時代の終わりを感ぜざるを得ない。が、大江健三郎の死は、恐らく現代日本ではあまり大きな意味を持たないだろう。ノーベル賞を獲ったという事実からだけでなしに、業績から考えて、総理大臣にたとえれば間違いなく国葬の作家であった。が、恐らく今後もあまり大きな話題にはならないまま、大江健三郎の名はしばしの忘却期間に付されるだろう。いつの間にかそんな日本、そんな時代になってしまったことをQ氏は感じる。

 

現在の高校生や大学生に、大江健三郎はもっとも馴染みの薄い小説家のひとりではないかと思う。東京大学仏文科在学中に大学新聞に発表した短編「奇妙な仕事」で注目されて以来、激動の1960年代日本社会をトップランナーとして走り抜けた作家であった。

今で言えば明らかに「妄想癖のある陰キャのオタク」である大江がトップランナーとなり得た60年代の異常な熱気は、おそらく現代の高校生や大学生には想像できないものであるに違いない。が、かつてそういう時代があり、その時代を経て今の世の中が生まれてきているのだ、という視点は、医学部受験生諸君を含む若い世代も、持っておいてよいのではないかと思う。

 

大江の小説はとにかく読みにくい、土俗的な宗教の呪文のような独特の文体で書かれており、時として「これが日本語か?」と疑わせる、翻訳調を取り込んだうねくる蛇のような重たい文章がえんえん続く。現代の高校生あたりの国語力を考えると、かれらは大江の小説をもう読めないのではないか、読んで理解できないのではないかと想像することがある。それくらい取っつきにくい、高校生に覚えてもらいたい熟語で言えば晦渋な文体だが、その、うねくる思考そのもののような文体から、読むと脳みそが煮えくり返るようなダイナミックな読後感がもたらされ、その読後感は肉体レベルの快感につながるのであった。Q氏も大学生時代、特に初期の大江作品のこの「麻薬のような」魅力に取り憑かれたひとりである。

即物的な描写を伴うをテーマにすることが多いのと、上記のような晦渋な文体から、高校国語の教科書に採用されることはあまりないが、その重要性から言って、高校生諸君に最も読んでもらいたい作家の1人でもある。

 

重要なのに教科書にあまり採用されず、入試にもほとんど出ない作家という点では、大江健三郎三島由紀夫が双璧であるが、教科書に載らない理由としては「性描写を含むきわどい描写が多い」「文体が特異すぎ、難解である」「思想的に偏っている(大江は左翼、三島は右翼)」というのがもっとも考えやすい。問題作成委員会で、大江を取り上げれば反対して退席する委員がおり、三島を取り上げれば逆に退席する委員がいる…という感じではないか。

しかし、文学というのは「危険なものほど美味しい」のであり、不道徳や邪悪を描いた小説ほど、小説として面白いのである。

そして、悪には右も左もない。悪は思想を超える。

国語教科書というものは、なんだかんだ言って「教育上よろしくない作品」を排除する方針で編集されているから、諸君は消毒され食べやすく加工された、無害な食品ばかり口にして成人を迎えているわけだ。管理された平飼いのブロイラーみたいなものである。

与えられたエサばかりついばんでいないで、もうちょっと毒々しい、読んだら今までの世界観が崩壊してしまうような強烈な作品を読む方が、諸君の目を覚まさせてくれもするし、長い目で見て人生に役立つのではないかと思う。

大江の「人間の羊」「性的人間」、三島の「百万円煎餅」「サド侯爵夫人」を掲載するおどろおどろしい「文学国語」の教科書を、Q氏は頼まれれば責任編集してもよい。教科書会社担当者の連絡を待つ。

受験生諸君にはもっと「悪い文学作品」を読んでほしい。内容はともかく、文体が読みやすすぎるラノベではなく。脳みそがぐちゃぐちゃになるようなエグい文学作品を読んで、きみも悪の心に染まるのだ。

 

大江は、特に戦後という特殊状況下で、日常にひそむ不条理に突如として捕われ、責めさいなまれる個人の葛藤や、不条理への絶望的な抵抗を、汗や血管の脈動という生理的レベルから、これでもかとばかり厚く肉付けして描いた。倫理の教科書にも出てくる実存主義に大きく影響を受けた作家であるという点でも、文体が太く過剰な描線による絵に似ているという点でも、同じく今はやや忘れ去られた漫画家・永井豪を連想させるが、大江の小説というのはとにかく「暑苦しい」のである。

終戦によって社会の180°の価値転換を経験し、身体を張って民主主義を守ろうという決意を固めた、実感を伴う「戦後民主主義者」の世代であり、それゆえ政治的には自然に戦後左翼運動に同調し、ヒロシマや沖縄をテーマとする進歩派言論人としても影響力を振るった。

 

だが左翼文化人が権威エスタブリッシュメントと化し、エリート=戦後民主主義という図式が出来上がった高度経済成長期を経て、バブル経済が崩壊し、平成不況が深刻化する時代になると、日本社会を動かす「左翼エリート」への反発が、言論界だけでなくネット社会でも、あるいはそこから飛び火するかたちで一般社会においても、表面化した。長らく進歩派の必読紙とされた朝日新聞叩きなどはその顕著な例だが、朝日系文化人の代表的なひとりである大江健三郎も、ノーベル賞こそ獲って日本の知名度は上げてくれたものの、変化した世論の中で、何とも扱いに困る骨董品的存在になってしまったのである。

大江自身も、障害を持って生まれた長男との「共生」をテーマにし始めて以来、初期作品のような熱気を一見失い、世論が右寄りに変化する前からすでに、長大でやや独りよがりな作品によって、読者に飽きられていたと思う。Q氏も、作品歴後半の長編群はさすがに読むのがしんどくて、いまだに未読作が残っている。もう読む意欲を持続できないので、読まずに終わるかもしれない。後期の大江作品の評価は、とにかく読み通すのが大変だという理由ひとつからしても、なかなか定まらないのではないかと思う。

 

が、このように概観して改めて思うのは、日本社会はもはや大江健三郎を必要としない地点に来てしまったのだということ。無力なくせに権威に反逆する絶望的な主人公たちを描いていた陰キャの青年が、功成り名遂げた優しそうな(ムーミンパパにちょっと似た)大家になってしまってからは、大江は日本社会にとって「玄関の邪魔な置物」みたいな存在になってしまっていた。元気な頃は、大江本人が得々として、聞き取りにくい早口でインタビューに答えたりしていた様子も、初期の大江作品の攻撃性・とげとげしさにハマった読者には、何となく「いい気なもんだ」という風に思えたのである。パパも昔は、ちょっとやんちゃだった時期もあるんだよ。

そして日本人は大江健三郎を読まなくなり、大江の政治性にひそかに反発を覚え、大江とは異なる柔らかなニヒリズムに走った村上春樹の次なるノーベル賞受賞を、毎年、予祝の宴を開きながら待つようになった。

 

大江健三郎の死は、恐らく今の日本社会においては「邪魔だった玄関のでかい置物がなくなった」ような感覚ではないかと思われる。だいたい、今の日本では、それほど多くの人が大江健三郎を読んでいる形跡がない。受験生諸君も読んだことはないだろう。

こうして、あれほど強烈だった大江健三郎も忘れ去られていく。それが致し方ない時の作用とはいえ、Q氏は腹の中でぶすぶすくすぶる不満もまた自覚する。大江健三郎はその程度の扱いで済ませていい存在なのだろうか。大江健三郎を忘却することは、社会からの何か大切なものの喪失を意味するのではないか。

 

Q氏は大学生時代に大江健三郎にハマり、当時NHKで放送されたインタビュー番組を見て、成城学園あたりに住むという大江健三郎の「うちを探しに」探検に出たことがある。なんの手がかりもないまま出掛けても見つけられるはずがないのだが、恋人に少しでも近づきたくて、その恋人の家をあてどなく探しにいく思春期の少年(今では「ストーカー」と片づけられるようなその行為も、かつては純粋な恋心の発動と見なされ、大目に見られていたと思う)のような心持ちであった。あちこち徘徊したが、とうぜん、作家の住まいは見つからなかった。

大江健三郎の、特に初期の作品には、Q氏にも恋心に似た狂おしい執着を抱かせる激烈な魅力があった。こういう魅力を発している作家は、あまり例を思いつかない。トッポジージョアメリカ発のネズミのキャラクター)に似た「陰キャ」の青年が、まるでロックン・ロールのスター歌手のような存在感を放っていた、不思議な時代があったものである。

 

謹んで大江健三郎さんのご冥福をお祈りいたします。