7回読み勉強法も、4回目の途中で進みが遅くなった。教科書内の練習問題までしっかりやると、「平読み」は「サーチライト読み」の、下手をすると10倍の時間がかかる。少なく見積もっても、だいたい8倍くらいの時間はかかると考えてよい。
わたくしQ氏も生活のすべてを地学基礎の勉強に捧げることはできないため、ぜんぜん進まない日が発生する。そういう時は仕方がないから、食事の際や湯船の中など、こま切れの時間を利用して少しずつ読み進む。
本日のエントリーでは、昨日の報告以降なにも進んでいないので、教科書の内容に触れての感想を綴ってみたい。
①まず、新しい分野を学ぶ面白さは確かにある。これは人それぞれの性格による感想だろうとは思うが、Q氏の場合は、大学は文系だけれど高校まで理系でサイエンスが嫌いではなく、野次馬的な知りたがり傾向も強いため、地学も意外と面白いなと思えた。とある分野の面白さというのは、或る程度は突っ込んで学習してみないと分からない。
岩石や鉱物を覚えるのは確かに大変だし、石に「生きている感がない」から、生物に比べて学習しようという動機が得にくい…という話は、理科の地学分野を嫌う中学生あたりからもよく聞く。
要は、石はつまらない、と。その気持ちも分かるのだが。
②一方、Q氏もようやく分かってきたが、地震や火山、気象などの主題も、地球規模で考えると確かに面白い。地球そのものが生きているんだな…と如実に感じることができるからだ。
生命って何なんだろう…と考える。物質の循環や代謝のようなはたらきを行っている主体は、生きていると言えるのではないか…と思う。いわゆるガイア理論と似たような考えに行き着く。
天文まで学ぶと、さらに宇宙というシステムがひとつの生命体なのではないか…というような話になってくる。その巨大システムを「神」と呼んでいる人もいるのだろう。
地学を学ぶことは、そんな風に人を謙虚にしてくれるような気がする。
パスカルが言った通り、人間は小さな葦、しかし考える葦なんですよね。
③知識のネットワークの水平展開によって、他分野がよく分かってくる。地学基礎を学んで、初めて他教科・他科目の「あれ」が分かった部分がたくさんある。
例えば高校地理B。ブラジル高原に分布する間帯土壌の「テラローシャ」は、玄武岩や輝緑岩などの火山岩が風化した赤紫色の土で、肥沃でコーヒーなどの栽培に向く…と必ずやる。
だが、この地理教科書の記述を読んでいても、次のような疑問は去らない。
(1)テラローシャはなぜ肥沃なのか。
(2)コーヒー栽培は、テラローシャがないとできないのか。
(2)は、テラローシャが分布しない他の産地も存在することを考えると、必須の要件ではないようである。Q氏が独自に農業系の本を読んで調べたところでは、ブラジル高原のコーヒー栽培は、小さな丘が分布し斜面を利用しやすい、地形上の特色によるところも大きいらしい。
が、(1)の「テラローシャはなぜ肥沃なのか」は、まさに地学基礎で分かる。
玄武岩や、玄武岩に近い組成の火山岩である輝緑岩は、マントルを構成するかんらん岩が部分的に溶けてマグマとなり、急速に冷え固まったもので、その成分としては有色鉱物である輝石やかんらん石の割合が高い。また、斜長石も多く含んでいる。
輝石やかんらん石は鉄やマグネシウムを多く含み、斜長石はカルシウム分に富む。これらの鉱物を含んでいるために、玄武岩や輝緑岩は、風化して砂粒になっただけで、ミネラルに富んだ植物の生育に向く土壌(また、土の粒子に陽イオンが多いため水素イオンを吸着せず、酸性に傾きにくい)を提供してくれるのである。まさに天然の恵みである。
ほかにも、地学基礎で風や海洋の流れが分かると、地理の気候区分はもちろん分かるし、歴史が分かってくる部分も多々ある。
知識の水平ネットワークができてくることで、ある教科の理解が他教科のより深い理解につながることが多々ある。これは、少し利口になった気分を味わわせてくれる、おベンキョーの効用かと思う。
Q氏は仕事でやっているわけだが、オトナの皆様の充実した人生のための「学び直し」の効用も、本気で提唱したい。
教科書を7回も読むのは大変だが、やってみればやってみただけの「何か」が手に入るもののようである。