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国語記述問題の調理法③──「考える」ことはむずかしい・東京大学現代文2022

さて、東から各1回ずつでお送りするという強引な「医学部2次試験国語攻略」企画、いよいよ東京大学理系国語である。

東大理系は文系よりも大問数が少ないというだけで、文系と同じ問題を課されるのはもうご存じだろう。これはどこの大学でも同じことで、理系は大問数が少なく、配点が小さいだけである。しかし、国語は数学と異なり、社会的生物としての人間に必要な基礎的言語力を問う教科だから、文系と同じ問題だから理系学生には難しい、ということはない。

 

数ある日本の大学の中で、受験の最高峰とされる東大理Ⅲだが、国語は理系共通問題だから、別に他の類と対策が異なるわけではない。

ただ理Ⅲの場合、合格最低点の高さから、とにかく国語でも、できる限り得点をかき集めておいた方がよいのは確かである。理Ⅲ志望の受験生諸君はスマートな人が多いかもしれないから、あまりえげつない真似はしたくないかもしれないが、過酷な戦いの場である入試でそんな綺麗なことを言っていると、必ずどこかから現れたストリート系ファイターに反則スレスレの技を見舞われ、一発で敗れる。ライバルは諸君の背後から常にナイフを突きつけているのだ。

入試の場では、プライドを捨ててできる限りえげつなく、なりふり構わず得点していこう。普段スマートな紳士淑女でありさえすれば、入試の現場ではケモノになってもよいのである。乱れよ、受験生

 

東大理系にすべり込む方式での合格を狙う場合に、「どのみち理系学生は国語が苦手だから、国語で得点せよ」というアドバイスがある。正しいと思う。

さらに「東大国語は古文漢文が課されるが、現代文はどうにもならないけれども、古文漢文は知識でどうにかなる。まず古文漢文を得点して、点をかき集めるべし」という忠告もある。これも、東大理系国語の基本方針としては正しいだろう。

 

が、理Ⅲはとにかく点の上乗せを考えなければならない。

そうなると、「古文漢文を取る」という基本方針に加えて「現代文でできるだけ部分点をかき集める」という、選挙戦終盤で1人でも多くのおじいちゃん・おばあちゃんと握手して回る立候補者のような、ドブ板選挙作戦を採るべきである。自民党田中派みたいな、泥臭い選挙戦をやれるかどうか、である。いずれにせよ、現代文から逃げ回るわけにはいかない(とはいえ、理Ⅲ受験生にはあんまり「逃げ回る」という意識の人もいないかもしれないがね)。

 

さて、そのような観点から東大理系国語の現代文を見てみよう。どの年度でもよいのだが、最新の2022年を取り上げる。

東大理系国語・現代文の特徴として、以下の点が挙げられると思う。

 

①出題は評論のみ。文章そのものは平易な表現によるものばかりで、難解・晦渋な表現はあまり用いられていない。1文ずつを見れば、共通テストよりよほど読みやすい文章ばかりである。

②具体例をもとに抽象的思考に進んでいく形の、「平易な文で高度な思考を展開する」タイプの文章が多い。思考の習慣がない受験生は文字面だけ読めても話題についていけず、結局何を言っているのか分からずに終わる可能性が高い。

字数制限がなく、2行で決められた大きさの解答欄に収めることだけを要求されるため、かえってどう書いたらよいか分からないという受験生が出てくる。

④傍線部の説明にすぐ使える語句が文中にない場合が多く、「単なる文中語句のコラージュ」で技術的に解答することが難しい設問がほとんど。本文の内容を自ら消化し、本文の趣旨を適宜自分の言葉で言い換えながら解説しなければならないため、上記と相まって、本文を理解できていない受験生には解答不能な設問が増える。

⑤ ④と関連して、文章外の教養がそれなりに要る。純粋に「文章だけ読んで解ける」問題にはなっているのだが、いわゆる教養や、時事などに関する基礎知識があった方が、問題文をより理解しやすい。

 

これらを踏まえると、受験生はある程度ゆっくり問題文を読み込んで、その文章が何を言わんとしているのかを理解した上で、上記④⑤の特徴を踏まえ、「とにかく自分を信じて自由に記述しまくる」しかない。

特に④のように文中の言葉をアレンジするだけで答えられないとすれば、文章から自分が受け取った内容をある程度自由な言葉で書くことを、かえって要求されているわけである。東大の記述は、限りなく口頭試問に近い記述問題である。

記述問題というのは、本来、文中の言葉のコラージュなどの処理技術コンテストで終わるべきではなく、本文から読み取った内容を解答者がじゅうぶんに消化した上で、「自分の言葉で」説明することを要求すべきだ…という、すこぶる「当たり前の」理念に従って、東大国語の問題は作られているわけだ。

根本思想はシンプル。だが小手先の技術を磨くことに慣れすぎたセコい知性の持ち主にとっては、はなはだ答えにくい。これが東大の問題の本質である。本式に「考え」ないヒトは、シンプルだが技術では答えられないという問題には、対応できないはずである。

 

この正統派の出題方針を踏まえれば、もはや答える側も、落語の熊さん八っつぁんみたいに大の字に手足を広げ、「オウオウ。こちとら江戸っ子でィ! 煮て食うなり、焼いて食うなり、どうとでもしツくんねえ!」と、たとえ実際に江戸っ子ではないとしても開き直り、出題者の意図をビクビクしながら「忖度」するのはやめ、ぞんぶんに暴れるしかない。

2行に収めなければいけないという条件はあるが、理Ⅲをはじめとする東大理科の受験生諸君には、国語の記述はヤケクソでもいいからとにかく書きまくれ!…と、Q氏は申し上げておく。もちろん、書くに先立って考えなければならない。

が、曲がりなりにも考えることさえできれば、そして諸君が考えた内容を忖度なしに思う存分書ければ、諸君の放った弾丸も、多少は当たるだろうぜ。節分の豆を拾うように、とにかく部分点を集めるのだ。

 

では2022年度の現代文鵜飼哲ナショナリズム、その〈彼方〉への隘路〔あいろ〕」)、軽くレビューしておこう。

 

カイロの考古学博物館で、日本人相手の観光案内に「パラサイト」しようとして排除された体験をもとに、筆者は近代ナショナリズムの基盤となる「ナショナルな空間」の成立要件を考察する。とりあえずの結論は、ラストから2段落目の冒頭「一言で言えば、あらゆるナショナリズムが主張する『生まれ』の『同一性』の自然的性格は仮構されたものなのだ。」に求めると分かりやすい。

 

すなわち筆者の主張は、

「自然にはもともとどのような形の区別も含まれないのだから、『生まれが同じ』などという言い方も本来はできないはずであり、人々が自然に生まれを同じくすることを前提とする『ナショナルな空間』も、後から作り上げられた制度にすぎない(そして、そのようなフィクションを前提とした『排除』が対内的にも対外的にも行われ始めている現状に、注意を向けるべきだ)」

となるだろう。

 

設問では(二)を検討する。傍線部イ「その残忍な顔を〈外〉と〈内〉とに同時に見せ始めている」の説明を求める問題だ。

ナショナリズムが、まず「国民」の内部でさまざまな集団の間に壁を築き、国民の一部を「非国民」として「摘発し、切断し、除去する」ことによって成立してきたのだという、傍線部イと同じ段落の内容を踏まえて答える。そのような「排除」の仕組みが「外国人」に向いた場合が、対外的ナショナリズムなのだ…と言いたいわけだが、「内部における排除」「外に対する排除」はいずれも、本来自然などではない「自然」な「生まれの同一」を仮構することから、同時に生まれてくるのだ…という結論になるだろう。

〈外〉に対して見られるナショナリズムの例として、現代日本でのネトウヨネット右翼)」によるヘイトスピーチなどの具体例が即座に頭に浮かばないと、生き生きとした関心を込めた答案が書けないだろう。その程度の教養は必要な問題だと考えられる。

 

また、外部への差別と排除が、内部での差別と排除から生まれる、という逆説を理解できるか。東大は「逆説(一見矛盾しているように思える真実)」「ジレンマ(矛盾した事柄の間での板挟み)などが、昔からかなり好きである。矛盾を矛盾としてとらえることができるのが本当の知性だ…などと言いたいのだろうか。

 

Q氏による試案は以下。

本来自然とは言えない特性によって人々を分断するのが、対象の内外を問わずナショナリズムの基本構造であり、階級による分断が日本国民の内部で進みつつある現在、外国人に対する排除もそれと同じように進みつつあるということ。

2行に入るかな? もしキツキツであっても、これくらい書いておけば絶対に点はもらえる。

東大理Ⅲ志望の諸君、気張れ! Q氏も応援するぞ!